実は古くて新しい?一之宮




実は古くて新しい?一之宮

一之宮はそれぞれの諸国で一番格式が高く伝統のある神社が選ばれていることが多い。

御祭神も記記(古事記・日本書記)に登場する神様であることが多く、創建も神話時代にさかのぼる神社も少なくない。

であるならば、当然社殿も法隆寺五重塔(世界最古の木造建築物群)とまではいかないまでも、奈良時代や平安時代にまでさかのぼることができるものが少なくないのだろうと漠然と思っていた。

がしかし、ある時に一之宮の社殿は思いのほか文化財に指定されているものが少ないなぁ~ということに「ふと」気が付いた。

それから私は、一之宮の社殿の建築年代をこつこつと調べ始めた。そして『ほぼすべて』の一之宮の建築年代を確認することができた。(これは思いのほかに困難な作業で何年もの時間を費やすこととなってしまった…)

すると驚くべき事実が判明したのである。

現存する一之宮の社殿で奈良時代や平安時代に造営されたものはただの一例もなく、最も古いものでも鎌倉時代初期に造営された厳島神社(安芸一之宮)の社殿であり、次に古いのは鎌倉時代末期 (元徳年中)に造営されたとされる出雲大神宮(丹波一之宮)の本殿であり、 鎌倉時代に造営されたものですら、このたったの二社しかなかったのである。

ちなみに室町時代(1400年代)までに造営されたものにまで枠を広げてみても、住吉神社(長門一之宮)の本殿が応安3 (1370)年に、吉備津神社(備中一之宮)の本殿および拝殿が応永32(1425)年に、大山祗神社(伊予一之宮)の社殿が応永34 (1427)年頃までに、丹生都比売神社(紀伊一之宮)の本殿のうち、第二殿と第四殿が文明元(1469)年に、楼門が明応8(1499) 年に、雄山神社(越中一之宮)の前立社壇の本殿が明応元(1492)年にそれぞれ造営されたものであるのだが、それでもわずかに五社しかない。

さらに戦国時代である1500年代までに造営されたものにまで下ってみても、やはり筥崎宮(筑前一之宮)、中山神社 (美作一之宮)、土佐神社(土佐一之宮)、気多神社(越中一之宮)と四社しかないのである。

結局のところ、現存する一之宮の社殿で鎌倉時代に造営されたものは二社であり、続いて室町時代に造営されたものが五社、次いで戦国時代に造営されたものが四社江戸時代以前に造営された一之宮はわずかにたったの十一社しかないのである。

以下、江戸時代に現在の社殿が造営された一之宮が約六十社(全体の約6割)明治時代以降の近代に社殿が造営された一之宮が約三十社(全体の約3割)あり、さらにもっといえば昭和以降に新しく社殿が造営された一之宮は全体の1割以上も占めているのである。

つまり、全国の一之宮とされている神社は歴史は古くとも現在に至るまでに社殿は何度も建て替えられているので、実はそんなに古い社殿はないという ことが言えるのである。

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日本全国一之宮を巡る旅  

 

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