第二次大戦時の「米軍の機銃掃射の弾痕」が残る『大隅横川駅』




第二次世界大戦時の「米軍の機銃掃射の弾痕」が残る『大隅横川駅』

JR肥薩線の大隅横川駅の駅舎は明治36(1903)年1月15日に開設された木造の駅舎で、同じく肥薩線の嘉例川駅とともに鹿児島県内最古の駅舎である。

嘉例川駅が山間の小さな集落にあるのに比べて大隅横川駅は旧横川町(現霧島市)の中心部にあり、とてもにぎやかであか抜けた感じがする。

建物は梁間四間(7.2m)、桁行十間(18m)桟瓦葺き、切妻屋根で待合室とホームには下屋が取り付けられ、待合室・事務所・六帖の宿直室を配し、待合室の天井は竿縁天井で排気口等があり、建築当時の造作を残している。

明治期の貴重な歴史的遺構であるとして、平成18(2006)年には国の登録有形文化財に登録された。

昔懐かしい、レトロでノスタルジックな駅舎であるが、第二次世界大戦終戦直前の昭和20(1945)年7月30日にはアメリカ軍の空襲により周辺一帯は焼け野原となり、大隅横川駅の駅舎はかろうじて焼失を免れたものの、駅舎の屋根はハチの巣と化したという。

ホームの柱にはこの時にアメリカ軍の戦闘機から受けた機銃掃射の銃弾の跡が残っている。

その柱には穴が空いていて、弾は柱を貫通したことがはっきりとわかるなど、衝撃的な戦争の傷跡に様々な感情が込み上げてきて色々と考えさせられるものがある。

上の貫通穴

下の貫通穴

所在地→鹿児島県霧島市横川町中ノ39-1

おまけ

 

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