~日光最高の聖地!中禅寺湖の離れ小島!上野島への上陸作戦顛末記~
洞爺湖、屈斜路湖、摩周湖の例を挙げるまでもなく湖に浮かぶ中島には得も知れぬ神秘的な魅力がある。今回例に挙げた湖の中島は有名であるが、実は栃木県の日光にある中禅寺湖にも中島がある。
その名を上野島という。
ところがこの上野島は知名度が低いどころではなく、一般的にはその存在をほとんどと言ってよいほどにまったく知られていない。
下野国にあるのになぜ 『上野島』という名であるのかという疑問はさておき、そもそもこの上野島には渡る手段はない。
また上野島の位置は中禅寺湖の南岸沿いにあるのだが、中禅寺湖には北岸沿いには車道が作られているが、南岸沿いには車道がないため、上野島を近くで見ることすら容易ではない。要は離れ小島なので船で行くしかないのだが、この上野島に立ち寄る遊覧船などは存在していないのである。
さて、前振りが長くなったが、この上野島には『あるとんでもないモノがある』という噂を聞き付けた。
それは…。日光開山の祖である『勝道上人』と日光中興の祖で、かの徳川家康の政治的ブレーンとして活躍し、東照宮の造営にも尽力した『天海大僧正』=慈眼大師の墓がこの上野島に存在しているというのである。
今となっては容易に人が上陸することができない離れ小島に何と「日光開山」そして「日光中興」の祖と言われている両名の墓が存在しているとは…。
こんな話を聞いたからにはお墓マニアとしては万難を排して何としてでも訪ねてみないわけにはいかない。
その後、色々と情報収集をするうちに、上野島にあるとされる勝道上人及び天海大僧正のお墓は分骨墓であり、本来の お墓はそれぞれ東照宮の近くの開山堂、慈眼堂にあるということがわかった。
但し、ネットでは確かに上野島に勝道上人と天海大僧正の墓があるという情報は出てくるのだが、実際に上野島に上陸して勝道上人や天海大僧正の墓を訪ねたという報告はついに1件も見付けられなかった。(但し、釣りの愛好家が上陸したという情報はいくつか得られた。)
いずれにしてもこうなったら上陸作戦を敢行するより他にない。しかしながら一体どうやって上陸したものかとあれこれと思案をしているうちに上野島は岸からわずかに100m程度離れたところにあり、中禅寺湖の水位が下がった時には陸続きとなることがわかった。
これだ!!!
中禅寺湖の水位が下がった時を見計らって訪ねればきっと難無く上陸できるはずだ!その日から毎日中禅寺湖の水位をチェックした。すると2016年の冬から日に日に中禅寺湖の水位は下がり続けていき、制限水位を下回り、2017年になるとついには最低水位をも下回った。
もう今すぐにでも上野島を訪ねたいという衝動に駆られたが、さすがに雪がある時期は無理である。春になって雪がなくなったら上陸作戦を敢行することとした。
問題は雪解けの水でどれだけ中禅寺湖の水位が上がってしまうのか…ということだったが、取り越し苦労だったようで何の問題もなかった。
そして2017年4月15日に上野島上陸作戦を敢行した。おそらく、いや間違いなく上野島は陸続きとなっているだろうとはいえ『そこ』まで歩いて行くのは大変だったが、期待していた通り、上野島は『ほぼ』陸続きとなっていた。(最後の20mくらいは膝下くらいまで湖の中に入る必要があったが特に問題なかった。
そして念願の勝道上人と天海大僧正のお墓を無事に訪ねることができた!
「左が天海、右が勝道上人の墓」
「左が天海、右が勝道上人の墓」
「手前が天海、奥が勝道上人の墓」
「勝道上人首骨納塔」
「慈眼大師 (天海大僧正)の墓」
※上野島への行き方はこちらをご参照下さい!
最新情報をお届けします
コメントを残す