琉球王国「英祖王統」第四代国王『玉城王の墓』(タカラグスク)




琉球王国「英祖王統」第四代国王『玉城王の墓』(タカラグスク)

英祖王統第四代国王・玉城王の墓。

史書によると玉城王は色をむさぼり、猟を好んで政務をおろそかにしたため、政治はすたれ、世はおとろえ、もろもろの按司は入朝しなくなったという。

大里按司は佐敷・玉城・具志頭・東風平・島尻・大里・喜屋武・摩文仁・真壁・兼城・豊見城を伐って自ら山南王と称し、今帰仁按司は羽地・名護・国頭・金武・伊江・伊平屋を伐って自ら山北王と称し、遂に国は中山・山南・山北の三つに分かれて鼎立する情勢となり、中山王が所管するのは那覇・泊・浦添・北渓・中城・越来・読谷山・具志川・勝連・首里三平等だけとなってしまったという。

尚、玉城王の墓とされるものは玉城城の崖下にもある。

所在地→沖縄県南城市玉城玉城(タカラグスク)

おまけ:玉城王の墓を訪ねた時のこと(回想)

2015年の1月31日~2月2日に沖縄を訪ねた。

当時、私は琉球王国の歴代国王のお墓を一つ残らず訪ねようと下調べを終えて準備完了!と思ってマッタリしていた時に、南城市からもらった「文化財ガイドマップ」をボーッと見ていたら「ミントングスク」、「玉城城跡」の近くに『玉城王の墓』、『西威王の墓』という文字を見付けた。

『これはヤバい!!!』と思って改めてネットで調べても何の情報も得られなかった。

『これは益々ヤバい!』と思い、南城市の教育委員会に問い合わせをしたところ、色々と問題や諸事情があるとかなんとかで正式な調査をしたことがない、その方も実際に行ったことがないとかで詳しいことがまったくわからなかった。

一応わかったことは「玉城王の墓」と「西威王の墓」はタカラグスクにあること、タカラグスクは「現在はゴルフ場の中にある」ということだった。

『これは万難を排して何としてでも行ってみるしかあるまい』と思い、速攻でそのゴルフ場に連絡を取ったところ、タカラグスクの見学をさせていただくことについて了解が得られたので、その他の予定を大幅に変更して現地の散策・探検をして「玉城王の墓」と「西威王の墓」にたどり着いた時には感無量になった。

ちなみに「玉城王の墓」と「西威王の墓」に行くのはジャングルの中を進んでいく感じ。

~以下、タカラグスクへの道のり~

通してくれた方が『必ず帰りにも声を掛けて下さい。行方不明になる方もいらっしゃいますので』と言っていた理由がよくわかった。

私も途中で足を滑らせ少し滑落してヒヤッとした。

 

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