杉木立の中に20万基を超える墓石が建ち並ぶ『高野山奥之院』




杉木立の中に20万基を超える墓石が建ち並ぶ『高野山奥之院』

高野山の奥之院は高野山の信仰の中心であり、弘法大師空海が御入定されているとされる聖地である。

一の橋から御廟まで約2キロの道のりには、皇室・貴族関係をはじめ浄土宗・浄土真宗の開祖である法然・親鸞、織田信長、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、明智光秀、石田三成といった名高い戦国武将達の供養塔が建立されている。

また、江戸時代になると諸大名も高野山の各寺院を菩提所と定めて祖先の墓石を建立したため、奥之院には当時建立された全国の近世大名の墓所・墓石が林立し、その数は実に20万基を超えるといわれている。

奥の院は川と橋の三重構成になっている。一番はじめが町の中を流れる「おど川に」に架かる橋で、俗に「一の橋」と呼ばれる。正式には「大渡橋」または「大橋」という。

奥之院へは一の橋から参拝するのが正式である。一の橋は弘法大師御廟の浄域への入口にあたり、弘法大師空海は参詣人をここまで送り迎えするという伝承があり、お参りする人はここで礼拝してから渡る。

次は「金の河(死の河)」に架かる「中の橋」である。

一番奥には御廟川があって「御廟橋」または「無明の橋(煩悩をとる橋)」と呼ばれている。

御廟橋は36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表していると言われ、さらに橋板の裏には仏を表す梵字が刻まれている。

奥之院では樹齢千年に及ぶ杉木立の中にある参道の左右に苔むした石塔を群立している。

静寂に包まれた奥之院では誰もが厳粛な気持ちを抱くのではないだろうか?

尚、「晴れの日」の「夜が明ける頃」に訪ねると「杉木立の間から光が差し込んで降り注ぐ」神々しい息を呑むような光景を目にすることができる。

実際に『肉眼』でこのような心が洗われるような光景を目にすることができる。

高野山奥之院にある主なお墓

では最後に高野山の奥之院にある主なお墓を紹介する。

筑後柳河立花家墓所

奥州仙台伊達家墓所

伊予宇和島伊達家墓所

加賀前田家墓所

融通念佛宗法明上人墓所

薩摩島津家墓所

岡山池田家墓所

岡山津山森家墓所

森中将忠政墓所

上総並武蔵牧野家墓所

山口毛利家墓所

有馬家墓所

羽後秋田佐竹家墓所

下野黒羽大関家墓所

伊予河野通直墓所

熊谷直実・平敦盛墓所

武蔵岩槻大岡家(大岡越前守)墓所

下野大田原家墓所

高松松平家墓所

日向高鍋秋月家墓所

丸亀京極家墓所

多田満仲墓所

小田原北條家墓所

紀州初代藩主徳川頼宣墓所

信州松本水野家墓所

信州諏訪家墓所

豊前中津奥平家墓所

奥州南部家墓所

北海道松前家墓所

赤井直正墓所

武田信玄・武田勝頼墓所

紀州徳川家七代宗将墓所

播州姫路酒井家墓所

紀州徳川家(二代光貞・三代綱教・四代頼職・六代宗直)墓所

上杉謙信廟

周防岩国吉川家墓所

阿波徳島蜂須賀家墓所

肥前平戸松浦家墓所

上州館林榊原康政墓所

備後福山城主水野日向守勝貞墓所

伊達政宗墓所

鳥取池田家墓所

大和織田家墓所

井伊掃部頭墓所(廟)

陸奥津軽家墓所

美濃大垣戸田家墓所

相模小田原大久保家墓所

丹後田辺城主牧野家墓所

備後福山水野家四代勝種墓所

薩摩島津家(初代家久・二代光久・綱久)墓所

石田三成墓所

明智光秀墓所

崇源院(徳川秀忠夫人)墓所

奥之院墓石群の中で最も大きい(高さ6.6m)ことから「一番石」の名で広く知られている。

相模三浦向井家墓所

法然上人圓光大師墓所

安芸浅野家墓所

結城秀康石廟

肥前島原松平家墓所

豊臣家墓所

摂津尼崎青山幸成墓所

播磨竜野脇坂家墓所

筒井順慶墓所

織田信長墓所

安房西尾家墓所

所在地→ 和歌山県高野町高野山550

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