天然の洞窟の中に約90基のお墓が整然と並び建つ『観音淵中世古石塔群』
「観音淵中世古石塔群」は「高さ8m、幅16m、奥行30m」もある「天然の洞窟の中」の両サイドの壁際に整然と並び建てられている「約90基の鎌倉時代初期から戦国時代までものとされる供養塔群」である。
実は私はお墓マニアでこれまでに何万、何十万基の日本全国の歴史的人物のお墓を訪ね歩いてきた。
何十基にもおよぶ墓石が整然と並び建てられているというものであれば、特に珍しいものでもなく、これまでにも何度となく目にしてきたものであるのだが、この「観音淵中世古石塔群」ように「天然の洞窟の中」に約90基にもおよぶお墓が整然と並び建てられているという情景は他に思い浮かぶものがない。
洞窟入口から見て右側の供養塔群は、鎌倉初期にこの地方の開田作業を進めた富山一族の長谷三郎太夫義遠一族及び家臣団の「逆修供養塔」と見られている。
長谷氏は祓川の長谷城に居住し祓川一帯の開田作業にも従事していたという。
また、入口から見て左側の供養塔群は肝付氏のもので、ともに鎌倉初期から富山氏と競って開田作業を進めたものと思われるとのことである。
私は、この洞窟の前に立ち、そして洞窟の中へと入り、さらに最深部まで歩を進めてみたが、そこは言葉ではとても言い表すことのできない「ただただ」幻想的な空間だった。
尚、この洞窟は約3万年前に姶良カルデラが大爆発して降下堆積した軽石層を、地下水が長い年月をかけてえぐり取って造り出した天然の洞窟であるとのことである。
現在でも洞窟の最深部(軽石層の最下部)からは地下水が並々と湧き出ていて、名水としても知られている。
ところが、洞窟の最深部から並々と湧き出ている地下水は、そのまま川となっているわけではなく、実は洞窟内で再び伏流している。
そして、洞窟の入口から10mほど離れたところで再び湧き出て小さな沢となってその姿を現すのである。
写真ではわかりにくいかも知れないが、伏流水が再び湧き出ているところ。
さらにその小さな沢は10mほど流れ降った先で約5mほどの滝となっている。
その滝が流れ落ちている淵は「観音淵」と呼ばれている。
つまり『観音淵古石塔群』という名称は滝が流れ落ちている『観音淵』という淵の名前から付けられたものなのである。(ということが後でわかった!というか後で理解した。)
いずれにしても、まさか、まさかの、「滝とお墓の夢の共演」で「観音淵古石塔群」は『お墓マニア・滝マニアの私ですらこんな景観が世に存在するとは夢にも思っていなかった想像を絶する神秘的で幻想的な空間』であった。
ちなみに逆修供養塔とは、死後の安楽、極楽往生を願って本人が生前に建立する供養塔であり、洞窟内の最深部から地下水が並々と湧き出ている情景は極めて神秘的かつ幻想的で、おそらくここに供養塔を約400年の長きに渡って建立してきた人々もこの天然の洞窟にただならぬ何かを感じてのことなのではないかと思う。
尚、現在では、近年になってから建てられてたであろう?石像が洞窟内の奥に祀られている。
所在地→鹿児島県鹿屋市下高隈町
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