日本で唯一!「茅葺屋根の民家」を転用した『旧手賀教会堂』




現存する「日本で唯一」の「茅葺屋根の民家」を転用した教会堂である『旧手賀教会堂』

旧手賀教会堂は、明治14年に近隣の茅葺屋根の民家を日本ハリストス正教会の教会堂として移転・転用したものである。

「現存する転用教会堂」としては「日本で唯一、最古のもの」である。

また「現存する教会堂」としては東京都千代田区のニコライ堂よりも古く首都圏では最古のものであるとされる。

移築された民家の建てられた時期や元の場所は不明であるが、小規模ながら軒をせがい造としていること、土間が狭いことなどから、有力農家の離座敷や隠居所のような建物であったと考えられているという。

戦中から戦後にかけては疎開してきた家族や戦争で家を失くした人たちが住んだ時期もあったが、その後、人が住むこともなくなったために破損が進み、昭和49年に新たな場所に新手賀教会堂が建設されると、保存修理工事を経て1975年に町指定史跡、2012には県指定文化財となった。

旧手賀教会堂は茅葺屋根の木造平屋建てで、縁側も設置されているなど、外から一見すると、とても教会とは思えない外観で、いわゆる典型的な日本家屋の古民家にしか見えない。

屋内も土間や畳の部屋に襖があるなどまさに日本家屋そのものであるかのようである。

しかしながら、よく見てみると、しっくいの白壁に設置された桟が十字架のように交差している半円アーチ型のガラス窓があり、教会らしさを感じることができる。

とはいえ、外観で教会堂を彷彿とさせるものはこのアーチ型のガラス窓が唯一のものである。

尚、ハリストス正教会聖堂では西から東へ、啓蒙所、聖所、至聖所が一直線に並ぶ配置となっているのが、教会建築の原則であり、共通する形式であるとのことである。実はこの旧手賀教会堂も明治33年に左右対称の聖堂(至聖所)が増築されて、西から順に啓蒙所、聖所、至聖所が一直線に並ぶハリストス正教会の教会建築の原則通りの配置となっていて「和洋折衷」の教会堂となっている。

ぶっちゃけていうと、この旧手賀教会堂を訪ねる前は「いわゆるキリスト教式の教会を造るだけの資金がなかったので、苦肉の策として、急造で、当時は珍しくも何ともなかった茅葺屋根の民家を教会堂として苦し紛れに転用した」もので別に大したものではないだろうと思っていた。

ところが現地を訪ねてみて、屋内が啓蒙所、聖所、至聖所と一直線に並ぶ構造となっている様子を目の当たりにして、襖の奥に隠されるように聖所、至聖所が設置されている構図の中に身を置いてみたところ、キリスト教徒ではないにも関わらず「まさに聖域そのもの」であり「神々しい何か」を感じて「とてつもなく神秘的な空間」であると感じた。

襖の向こうに聖所がある。これを一目見た瞬間に電気が走るのを感じてしまった。。。

ちなみに「啓蒙所は教会の玄関にあたる前室としての空間」であり、「聖所は信者が祈祷を行う場所」で、「至聖所は神の場所」とされ、神父しか入ることができないといい、現在でも非公開となっていて入室することはできない。

聖所と至聖所はイコノスタス(聖障)によって隔てられていて、以前は日本初の女流イコン画家である山下りんが描いたイコン(聖画)3点が掲げられていたとのことであるが、現在は新手賀教会堂に移されていて、旧手賀教会堂に展示されているものはレプリカである。

とはいえ、素人の私にはこれが複製されたものだといわれても、本物とレプリカの違いがわかるはずもなく、有難く拝見させていただいた。

山下りんによるイコン(聖画)レプリカ

機密の晩餐

至聖生神女(聖母マリア)

主全能者(キリスト)

また、これとは別に至聖所と聖所を隔てる扉には4枚のイコン(聖画)がある。

聖使徒福音者マトフェイ

聖使徒福音者神学師イヲアン

聖使徒福音者マルク

聖使徒福音者ルカ

聖所には半円アーチ型のガラス窓がある。

所在地→千葉県柏市手賀666−2

新手賀教会堂について

新手賀教会堂は旧手賀教会堂から東に約600mほど離れた場所にあり、山下りんによるイコン(聖画)3点(機密の晩餐・至聖生神女(聖母マリア)・主全能者(キリスト))の原画が掲げられているが、非公開となっていて通常拝観することはできない。

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