合掌造り家屋の原型と言われる「現存唯一」の『原始合掌造り』




合掌造り家屋の原型と言われる「現存唯一」の『原始合掌造り』

原始合掌造りの『三郎(旧岩本家)』は世界遺産として有名な越中五箇山相倉集落にある屋根だけの合掌造りで「合掌造り家屋の原型」と言われるものである。

このような家屋は「ナンマンダブツ建て」と呼ばれ、江戸時代の五箇山では農家住居として各所に見られたという。

このように五箇山の合掌造りの民家は屋根だけの小さな家をもとにして「素屋造り」から「四ツ囲い」へ「妻入り」から「平入り」へと発達し、さらには二階建の茅葺民家へと変遷し今見るような大きな家に発展したとされる。

尚、この原始合掌造りの『三郎(旧岩本家)』の建築年代は江戸時代後期で、昭和の初年まで岩本姓のお婆さんが一人で暮らしていたが、現在は後方に隣接する合掌造り民家『三五郎』が所有し、物置として利用されている。

~倉庫の中~

この「合掌造り家屋の原型」とされる「屋根だけの原始合掌造りの家屋」であるが、五箇山で現存しているのは『この三郎ただ1棟のみ』であり、大変貴重なものであるといえる!(はずである。)

しかしながら、この「原始合掌造りの三郎」は相倉集落のほぼ中央にあるにもかかわらず、他の合掌造りの家屋と比べると高さがなく小さいためだろうか?なぜか存在感が「ほぼない」に等しく、歴史的価値は高いと思われるものの大多数の方が気にも留めずに見逃してしまうのではないかと思われる。

それでは何とももったいないので、もう一度よく観察をしてみることとする。

一見すると縄文時代の竪穴式住居を彷彿とさせるものがある。

合掌造りの屋根の部分だけが取り外されてそのまま地面に置かれて(放置されている)ような感じにも見える。

相倉集落の案内図の看板には「天地根元造り」と書かれていた。

それはそうと、昭和の初年までこの原始合掌造りの家に一人で住んでいたというおばあちゃんはどんな人でどんな生活をしていたのだろうか?

所在地→富山県南砺市相倉

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