北国街道の宿場町!石畳の道に茅葺屋根の民家が残る『板取宿』
板取宿は江戸時代に北陸と近江を結ぶ北国街道の宿場町として栄えたところである。
戦国時代までの越前への陸路は山中峠を越える古道(万葉道)と木の芽峠を越える北陸道(西近江路)のみであったが、柴田勝家が北ノ庄に封じられ信長の居城安土に赴く最短路として、天正六(1578)年に栃ノ木峠の大改修を行って以来、人馬の往来が頻繁となり、越前南端の重要な関門の地として板取宿が置かれ、宿馬三十頭、人足六十人が常備されたという。
板取宿は北国街道(東近江路)の玄関口として、あるいは近江・越前・両国を結ぶ要の宿として発達し、江戸時代には家康の子、結城秀康が入国以来関所を設けて旅人を取り締まり、後に板取番所として藩士が駐在した。
番所の構造は宏荘な門構えの内に間口三間、奥行三間半の平屋建ての棟を設け、刀、弓矢、火縄銃、具足を備え、役人三人、足軽一人が常駐し厳重な警戒に当たっていた。
板取には幕末の頃、戸数53戸・うち3軒の問屋をはじめ、7軒の旅籠、3軒の茶屋のほか継立従事の家が建ち並んで賑わったが、明治になると新たな道路や鉄道が開通して板取を通る人は激減、昭和50(1975)年には廃村となった。
しかしながらも、その後も地域によって大切に保全・保存がなされ、現在でも茅葺屋根の民家が4軒往時の姿を留めている。
板取宿に4軒残っている茅葺屋根の民家
観光地化されてないため、今でも昔ながらの素朴で純朴な趣きがあり、日本昔ばなしの世界ようなのんびりとした穏やかな世界を堪能することができる。
石畳の道は何とも言えない風情がある。
想像以上に感動してしまった。
板取宿北側から
板取宿南側から
所在地→福井県南越前町板取35−5
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