約1200年間続けられている儀式!高野山奥之院の『生身供』




約1200年間続けられている儀式!高野山奥之院の『生身供』

高野山は標高1,000m級の峰々に囲まれた標高約800m~850mの山上に広がる東西約6キロ、南北約3キロの蓮の華のような地形の盆地で、約1200年前に弘法大師・空海が開山した真言密教の聖地である。

高野山では「高野山全体」を「総本山金剛峯寺」とし「一山境内地」と称するお寺の境内地とされている。

山内に点在するお寺は塔頭寺院と呼ばれ、現在もなお117の寺院が密集する山上の宗教都市となっている。

山内は「奥之院」と「壇上伽藍」を二大聖地とし、奥之院・弘法大師御廟を信仰の源泉とし、壇上伽藍を修学の場所として、真言密教の教えと伝統を今日に伝えている。

奥之院は弘法大師が入定されている聖地で一の橋から御廟まで約2キロの参道には、およそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が、樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいる。

御廟へと向かう参道の最後の橋となる御廟橋は36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表していると言われ、さらに橋板の裏には仏を表す梵字が刻まれている。

御廟橋を越えると聖域に足を踏み入れることになるため、服装を正し、一礼してから渡るのが参拝の作法であり、写真撮影は禁止となっている。

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「奥之院」最奥の「御廟」では弘法大師空海が生身のまま即身成仏し、瞑想を続けているとされていて、1日2回6時と10時半に食事を届ける『生身供』という儀式が1200年毎日かかさず続けられている。

これは御廟で待つ空海に食事を届ける儀式で、御供所にて調理された食事は嘗試地蔵での味見を経て、2人の僧が白木の箱に納めて御廟へと運んで行くもので、先頭には案内人の維那が歩き、御廟橋を渡って燈籠堂の中へ食事をお供えした後、読経して再び御供所へと戻ってくるものである。

生身供が行われる高野山奥之院→和歌山県高野町高野山132

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