「 棚田(百選)との出合い 」
私は昔から収穫直前の黄金色に光り輝く田園風景が大好きでした。が、それは棚田に限定されるものではないことは言うまでもありません。
そんな私の棚田とのファーストコンタクトは大阪府の下赤坂の棚田でした。その日、大阪府の千早赤阪村で楠木氏関連の史跡巡りをしていた時に下赤坂城を訪ねた私はその眼下に視覚一杯に広がる圧巻の棚田を目にすることになりました。
それまで私が抱いていた田園風景とはまるで違うその景観に魅せられた私でしたが、その時点ではそれが棚田というもので、全国各地には他にもまだたくさんあるものだと意識することはなかったです。
そんな私が棚田の魅力に改めて気付かされたのは四谷千枚田と出合ってからです。下赤坂の棚田との出合いから3年余り経ったある日、愛知県東部の史跡巡りをしていた私は何気なく目にした「四谷千枚田」という看板に誘わるままに四谷千枚田を訪ねました。
そこで見たものは幾重にも田んぼが積み重なってそれこそ天にまで伸びているのではないかと思えるような姿をした棚田でした。にわかには信じられないような光景によくぞこれだけの棚田を作ったものだとただただ圧倒され、度胆を抜かれた私は、以後「棚田」というものを強く意識するようになりました。
しかしながら、やはりその時点では世の中にはスゴい棚田があるもんだなぁ~と思っただけで、棚田に百選があるということを強く意識して各地の棚田を訪ね歩こうという気持ちもありませんでした。
その後、福岡県で南北朝時代の史跡巡りをしている時に星野村で四谷千枚田のようにやはり天に向かって伸びているのではないかと思える絶景の棚田を目にすることになりました。(広内・上原地区棚田)
続いて紀伊半島で家族旅行をしている時に日本を代表する棚田の一つである丸山千枚田に立ち寄ることができました。
この間に流れた時間は約5年ほどだったでしょうか。私と棚田百選との出合いはこのような経過をたどりましたが、いずれも何かのついでにたまたま偶然に棚田を訪ねただけで、棚田を見に行くことを目的として訪ねたことはありませんでした。
また棚田というのはいずれ劣らぬ、山奥で交通不便な僻地にあることが多いため、非常に興味があったとはいえ、偶然頼りでは棚田との出合い(訪問数)が増えることはありませんでした。
しかしながら、とある本屋で『日本の名景-棚田(日本の棚田百選)』という本を見付け購入した私は、以後、旅に出る時には必ずこの本を携帯するようになり何かのついでに各地の棚田も立ち寄るようになりました。
そして今に至っています。
・・・・・・・
というのが、私が棚田と巡り合った事の顛末です。
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