ラジオ用




トーク① 佐竹さんが秘境探訪をはじめたきっかけ

仕事柄人と常に接している仕事をしていて、人間関係に疲れてプライベートでは人と接したくないという思いが強いのと、どうせ何かをするのであれば人がやっていないことをやりたい追い求めたいと思って秘境探訪を始めた。

人は本気になると一人で行動するようになるというのが私の考えで、特に

「好きなことは誰に気兼ねすることなく、好きなだけ気が済むまでやりたい」

ので、一人で行動するのが一番効率的。

あと元来凝り性なのか、興味を持つとそれを全部訪ねてみたくなる性分で実際に行動に移します。

トーク② 沖縄史跡巡り

玉陵(たまうどぅん)

第二尚氏王統歴代の陵墓。世界遺産。1469年(成化6年)から1879年(光緒5年)までの410年間琉球王国を統治した。

玉陵(玉御殿)

ミントングスク(南城(なんじょう)市)

ニライカナイからやってきた琉球開闢の祖、アマミキヨが安住の地として住み着いたとされている。アマミキヨが久高島(くだかしま)から沖縄本島に上陸したときに最初に足に降ろした場所とされるヤハラヅカサのすぐ近くにある。アマミキヨここでシネリキヨと結ばれて三男二女(長男は王様・次男は按司・三男は百姓・長女は聞得大君(きこえおおきみ)・次女は祝女(のろ)になったと言われている。)をもうけたと伝えられている。城内にはアマミキヨとシネリキヨの墓がある。

アマミチューのお墓(琉球開闢の祖)

うるま市の浜比嘉島(はまひがしま)にある。

私が訪ねた時は満潮になるとアマミチューのお墓へと至るみちは海の中へと消えるので、干潮時しか行くことができませんでした。

シルミチュー

同じ浜比嘉島(はまひがしま)内にはアマミチュー・シルミチューが居住したところと伝えられているシルミチューという洞穴(どうけつ)がある。

舜天王(しゅんてんおう)の墓(琉球王国の最初の王様と言われている、2ヵ所ある)

①食栄森御嶽(いいむいうたき)南城(なんじょう)市

②ナスの御嶽(なすのうたき)北中城村(きたなかぐすくそん)

舜天(しゅんてん)、舜馬順熈(しゅんばじゅんき)、義本(ぎほん)の三王を葬ったとされるお墓。

舜天王は鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝の叔父である『源為朝の子供』だとされています。つまり「初代琉球国王」の『舜天王』と「鎌倉幕府の初代将軍」である『源頼朝』は実は『従兄弟だった』ということになります。琉球王国の正史にも『舜天王は源為朝の子である』と記載されています。

「初代琉球国王」の「舜天王」と「源頼朝」は従兄弟だった?

義本王(ぎほん)の墓(国頭村(くにがみそん))

舜天王の孫である義本王(ぎほん)が王になると大飢饉・天変地異・疫病が起き、これを自分のせいだと感じた義本王は自ら王位から退き、姿をくらましたと伝えられている。その義本王のお墓が沖縄本島の最北端である辺戸岬(へどみさき)にある。

浦添グスク・ようどれ館(浦添市)

義本王が王位を譲ったのが英祖王と言われています。英祖王は沖縄に初めて仏教を導入した王様として知られている人物で、浦添市にある「浦添ようどれ」というところにお墓があります。

ここで話は変わりますが、歴代の天皇陵は古代の天皇陵の古墳であれ、中世の天皇陵であれ、近世の天皇陵であれ、その中(敷地内)に入ることはできません。

このため、天皇陵の内部の様子などを伺い知ることは当然のことながらできません。

ところが、不幸にも先の大戦の戦禍により、浦添ようどれや玉陵は大きな被害を受けたため、その復旧工事や調査が行われる過程で、内部がどのようになっているのかについては詳細が判明しています。

「浦添ようどれ」や「浦添城」に隣接して、2005年に浦添城跡のガイダンス施設としてオープンした『浦添グスク・ようどれ館』という施設があります。そして、この『浦添グスク・ようどれ館』には何と!『浦添ようどれの西室(英祖王陵)内部の様子が実物大で完全・完璧に再現されたもの』が展示されていて『超』必見です。

琉球国王の陵墓を完全に再現している「浦添グスク・ようどれ館」

玉城王(たまぐすくおう)の墓→(南城(なんじょう)市)

英祖王統四代目の王でしたが、酒色におぼれて道楽三昧の生活を送り、家臣や民衆たちは彼から離れていき、勢力圏は3つに分かれて戦国時代のような時代に入り、これによって英祖王統滅亡の一因となりました。

お墓はゴルフ場内(琉球ゴルフ倶楽部)のまるでジャングルのような森の中にある。

佐敷ようどれ(第一尚氏初代・尚思紹(しょうししょう)の墓)→南城(なんじょう)市

自衛隊駐屯地の中にある。見学は可能。

第一尚氏第二代尚巴志王・第三代尚忠王・第四代尚志達王の墓(読谷村(よみたんそん))

首里の天山陵に葬られていた尚巴志王・尚忠王・尚志達王の遺骨は第二尚氏の尚円金丸のクーデターの際に一族と家来たちは首里を追われ、亡き王たちの遺骨をたずさえ各地に逃げ落ち、ひそかにこの地に移葬されたという。

現地は米軍施設の嘉手納弾薬庫地区になっていますが、民間人が入っても差し支えのない場所となっているようです。

 

その他

玉城城(タマグスクグスク)南城市

アマミキヨが築いたと伝えられる琉球最古のグスクと言われている。琉球七御嶽の一つ。城門は自然石をくり抜いて造られた珍しいもの。

糸数城(いとかずグスク)南城市

なんでこのグスクが世界遺産から漏れているのだろうと不思議なほど壮大で圧巻な城壁が続く。逆に言えば穴場。

末吉宮(那覇市)

まるで「空中神殿」のよう!実は沖縄県にもある懸造り(清水寺や投入堂のような)のお堂。

まるで「空中神殿!」実は沖縄県にもある懸造りの『末吉宮』

沖縄の王統

舜天王統→英祖王統→察度(さっと)王統→第一尚氏→第二尚氏

トーク③ 探訪の面白話、今後の活動、未来への展望

滑落したり、濁流に流されたりして命を落としそうになったことがあります。車のタイヤがパンクしたことなども日常茶飯事。

日本の素晴らしいと言われているモノをすべて目にしてから死にたい。

可能ならばそれぞれの分野の書籍を出したい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください