第二尚氏王統歴代の陵墓である玉陵(玉御殿)




玉陵(第二尚氏王統歴代の陵墓)

玉陵は1501年に尚真王が見上森陵に葬られていた父・尚円王の遺骨を改葬するために築いたもので、以後、第二尚氏王統歴代の陵墓となったものである。

墓域は2,442㎡で高さ約2mの石垣で囲まれた広い墓域の奥に自然の岩壁を掘削して造られた大きな破風墓が三基連なっている。

全体のつくりは当時の板茅葺屋根の首里城宮殿を表した石造建造物になっていて、三つに分かれた墓室は向かって中央の「中室」が洗骨前の遺骸を安置する部屋で、その左側の「東室」には洗骨後の国王と王妃の遺骨が、右側の「西室」にはそれ以外の家族の遺骨がそれぞれ納められている。

尚、前庭には玉陵碑と呼ばれる碑文があり、玉陵に葬られるべき人々が規定されていて、碑文の最後には「この御すゑ(子孫)は千年万年に至るまでこのところ(玉陵)におさまるべし、もしのち(後)にトラブルが起こった場合にはこの碑文を見るべし、この書き付けに背くものは天に仰ぎ、地に伏して祟るべし(天罰が下るだろう)」と結ばれている。

この碑文には尚円王の弟で第二代国王になるも半年で失脚させられた「尚宣威王」、そして尚宣威王の娘で尚真王の正妻である「居仁」、さらには尚真王と居仁の長男で世子(王位継承者)の地位を廃嫡された「尚維衡」の名前がなく、王室内に何らかの政治的抗争があったことが予想されている。

事実、玉陵には初代・尚円王から第十九代・尚泰王までの第二尚氏の歴代王が葬られているが、この碑文の通り、「第二代・尚宣威王」と尚維衡の曾孫で第二尚氏王統で唯一、浦添尚家出身の王であった「第七代・尚寧王」は玉陵には葬られていない。

所在地→沖縄県那覇市首里金城町1-3

 

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