日本の滝百選選定の裏話・舞台裏




日本の滝百選選定の裏話・舞台裏~滝百選とは一体何だったのか?~

日本の滝百選選考委員会のメンバーの一人で1960年代の後半から、今と違って当時本当に何の情報もなかった時代に日本中の滝を「たった一人」で人知れずに訪ね歩かれた『生ける伝説』である永瀬嘉平先生と知り合い、親しくさせていただくという幸運に恵まれた。永瀬先生と色々とお話をさせていただいた中で、お伺いすることができた滝百選に関することをまとめてみた。

日本の滝百選は行政主導で行われた。

○全国から公募を募ったが一般からのそれは受け付けず、各自治体からの公募を募ったのみである。

百選選定に当たっては観光の目玉(いわゆる客寄せパンダ)を作りたい各自治体の熱い希望と期待の中で作業が行われた。

日本の滝百選選考委員のメンバーは8人。

○選考委員の中には著名人というだけで名を連ね、会議には一度も参加しないメンバーもいた。

○選考委員8人全員が一同に会したことはない。

○永瀬先生は日本の百選を選定するという構想が持ち上がった当初から参加していたわけではない。

百選選考委員が組織される段階で誰か一人くらいは滝に詳しい人を…ということで永瀬先生に声が掛かった。当時選考委員の中には永瀬先生以外に滝に精通している人はいなかった。

百選を選定した当時(1990年)はネットなどもなく滝の情報は世にほとんどなかった。選考委員にも滝に精通している人は皆無で、その時点で知名度があった滝を中心に選定が行われた。当時においては有名な歴史・伝説がある=必然的に知名度があるということでもあった。そのような理由で選ばれた最もたる滝は養老の滝である。

○滝の良し悪しではなく選考委員の面々が各々の出身地にある滝を推したことにより選ばれた滝がいくつもある。

○永瀬先生はご自身で百選の滝にふさわしいと思われる滝のリストを出したが、思うように採用されなかった。

○永瀬先生ご自身がすべて選んでいたらこのような選び方をしなかったという忸怩たる想いがある。

○常布の滝や滑川大滝は自治体の推薦はなかったが、永瀬先生が推したことにより百選に選ばれた。が、案の定、その滝では観光地化できないとそれぞれの自治体から別の滝に変更してほしいとの申し出があった。

○このような経緯で選定された滝百選にこだわる必要はない。今、仮に滝に精通している滝マニアで有志を募って百選を選び直したとしたら従来のものとは大きく変わるはず。というか滝に限らず日本人は百選が好きだが、人が選んだ百選を訪ねるのは意味がない。それでは「自分がなく、個性もなく、自分の意思もない」本当にそれが好きなら自分自身で百選を選ぶぐらいの気概を持ってほしい。

百選に選ばれたことで観光地化するために乱開発されたものが多い。

○自分が百選の滝をダメにしたんだ。

○私は行政主導で行われた滝百選の選考委員に名を連ねたことを今でも後悔している。

備考:「日本の滝百選」選考委員

大石武一(元環境庁長官)

兼高かおる(評論家)

岸根卓郎(京都大学名誉教授)

小松左京(作家)

高橋延清(東京大学名誉教授)

永瀬嘉平(滝の研究家)

三島昭男(文明評論家)

福岡克也(幹事・立正大学教授)

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