橘三喜の墓(一宮巡詣記の著者)




橘三喜の墓(一宮巡詣記の著者)

所在地→埼玉県さいたま市緑区宮本2

橘三喜の墓。三喜は江戸時代前期の神道家で寛永12(1635)年に肥前国(現長崎県)の平戸の平戸七郎宮の宮司の息子として生まれた。寛文2(1662)年に駿河(静岡県)総社・神部神社の神職・志貴昌興に吉田道を学び江戸浅草で橘神道を開いた。

その後、延宝3(1675)年、40歳の折に、全国一之宮巡拝の志を立てて平戸を出立し、以後23年の年月を費やして日本人で初めて全国の一之宮を巡拝し「一宮巡詣記」を書き残した。

三喜は一之宮研究、一之宮巡拝のまさに先駆者であり、彼が残した一宮巡詣記は現代においても一之宮研究における重要な資料であり、後世に残した影響は少なくない。

※実はこの橘三喜の墓については裏話がある。

2010年11月に三喜の墓がどうやら氷川女体神社の武笠神主家墓地にあるらしいという情報を入手した私は、いてもたってもいられず、早速宮司さんのお宅に電話をして詳細をお聞きしようとしたところ、「橘三喜さんのお墓は昨年武笠神主家の墓地が改装された際に行方知れずとなってしまいました。今、四方八方手を尽くしてお墓の行方を探しているのですが…」との大変ショッキングで残念なお話をお伺いすることとなった。

このため2012年3月に氷川女体神社を初めて訪ねた時には、「もうこの世には存在していないもの」とすっかり諦めていたにも関わらず、一応ダメ元で武笠神主家の墓地に足を伸ばしてみた。

すると、思いもがけず実にあっさりと橘三喜の墓を発見することができた。こうして橘三喜の墓との「まさか」の対面をすることができた私は心の底から感動に打ち震え、その日は一日中興奮が覚めやらなかった。

 

 

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