一色氏家系図(室町幕府四職家・清和源氏足利流)




清和源氏足利流『一色氏家系図(室町幕府四職家)』

 

○一色氏系図の考察

・南北朝内乱の初期、九州探題だった一色範氏・直氏父子はその任に失敗して下野、結局どこぞに隠栖した。その後、直氏の弟範光が若狭守護になって一色氏の家督を興したが、直氏にも子(氏兼)があった。血統上からいえばこの系統の方が正嫡ということになる。なお、氏兼の次男一色長兼は、関東に下向し、下総田宮荘幸手を伝領した。この系統は鎌倉公方の足利氏に仕えて関東一色と称した。上杉禅秀の乱、永享の乱、結城合戦等々にこの系統と思われる一色姓の者が現れるが、その系譜関係は判然とせず、一色系図上の人名に比定することはきわめて困難である。

・満範の死後、持範と義貫の二人が満範の遺領を争ったが、結局この時は兄の持範が譲歩して講和し、その結果、守護領国の二分割がなされたといわれている。

・足利義教による義貫謀殺後に家督を継いだのは一色教親だったが、後嗣子がいなかったため、教親の死後、一色氏の家督は故義貫の嫡男義直が継ぐことになった。しかし、義有の後に家督を継いだ義道は教親の孫とされているなど、この辺りの事情は頗るわかりにくい。

・一色氏の歴代当主は義春のころまではその実名を明らかにすることができるが、それ以後の事情は頗るわかりにくい。特に義有、義清という名の当主が系図により明らかに違った年代に何度も出てくるなどの混乱をきたしており、義春以降の歴代当主の関係は明らかではない。

・細川家記その他近世軍記物によると天正10(1582)年9月8日に細川藤孝の娘婿であった一色氏の当主が宮津細川家臣の屋敷で、細川忠興の手で謀殺されるという事件があった。尚、その謀殺された当主の名は、義定、義有、満信、義俊など様々に伝えられている。丹哥府志はその復讐戦に叔父の義清を登場させているが、細川方の記録類では義清のことは一切ふれておらず、その義清なる人物を確定する史料はない。結局その義清も細川氏に敗れて同月28日に自刃したという。

・一色持範の系統では晴具の子、藤長が足利義輝、義昭に仕えて側近として活躍をした。尚、藤長の子、範勝は徳川家康に従い家名を存続することができたが、曾孫の範永の早世により断絶、所領は没収された。

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