「日本最古(日本最初)の寺」である「対馬」の『梅林寺』
梅林寺は対馬の旧美津島町小船越にある「お寺」である。
由緒によれば、欽明天皇の時代に百済の聖明王(聖王)の使節が訪れ、釈迦仏の金銅像一躯と経論若干巻物等を献上し、日本に仏教を最初に伝えた(いわゆる仏教伝来)とされる際に、その使節が、日本本土に渡る前にこの浦に泊り、滞在中に仮の一堂を建てて仏像(経巻)を安置したとされている。
このことにより、梅林寺は「日本最初の寺」といわれていて、その後に一寺を建立したのがこの梅林寺の起源であるという。(あるいは日本最古の寺かともいわれているが残念ながら寺号はわからないという。)
尚、話が脱線するが、この時に百済の聖明王(聖王)から欽明天皇に献上された「釈迦仏の金銅像」こそが、何を隠そう!今日では「あの絶対秘仏」とされている『善光寺御本尊の「一光三尊阿弥陀如来像(善光寺如来)」である。
『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。
さて、話を戻して、時は下り、嘉吉年間になると、現在と同じく『梅林寺』と称したとのことである。
嘉吉3(1443)年になると朝鮮との通行条約が結ばれ、朝鮮に渡航する者は、すべて宗氏の文引(渡航許可の証明書)が必要となると、この重要な文引の関所がここに置かれ、梅林寺の僧鉄観が、この文書の取扱いにあたったといわれている。
また、この寺には、南北朝時代につくられた(京都東福寺版の)貴重な大般若経597帖があり、さらに、統一新羅時代末期(9世紀)の制作といわれる古い仏像(誕生仏)もあるとのことである。
所在地→長崎県対馬市美津島町小船越382
おまけ:日本に伝来した最初の仏像について
日本に伝来した最初の仏像について、日本書紀では「釈迦仏の金銅像」と書かれていて、善光寺縁起では「一光三尊阿弥陀如来」と伝えられている。
日本書紀と善光寺縁起では違うことが伝えられているが、実際のところ、この辺のことはよくわからない。この時に日本に献上された仏像が複数だったという話もある。
そもそも仏教伝来の年も「538年」であるという説と「552年」であるという説の2つがある。
また、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた仏像が紆余曲折があって善光寺の御本尊となったという話も日本神話の天孫降臨みたいな「本当にそんなことがあったの???」というようなレベルの話に思える。
そして、善光寺の御本尊についても「絶対秘仏」で誰も見たことがないので「本当に存在しているのか?」とその存在を疑う消滅説もある。
梅林寺に百済の聖明王(聖王)の使節が滞在したという話も「後世に創られた話」ではないのだろうか???などなど疑い出したらキリがない。
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