補陀落渡海の聖地!補陀洛への東門(入口)とされる『金剛福寺』
「蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺」は四国の最南端である足摺岬を見下ろす丘の中腹に位置し、室戸岬の最御崎寺や金剛頂寺と並んで弘法大師・空海の開創伝承を有する真言宗の古刹である。
弘法大師(空海)はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得し、ときの嵯峨天皇(在位809〜823)に奏上、勅願により伽藍を建立、勅額「補陀洛東門」を受し、開創したと伝えられる。(金剛福寺には現在でも嵯峨天皇宸筆と伝承される「補陀洛東門」の勅額が伝存している)
なお、金剛福寺は四国八十八ヵ所霊場の三十八番札所でもあり、前の三十七番札所の岩本寺からは80キロ余り、歩けば約30時間、3泊4日はかかり、四国八十八ヵ所霊場の札所間では最長距離で、まさに「修行の道場」である。
このように金剛福寺は足摺岬の先端にあることから、南方補陀洛山の観音浄土を望む霊場として、古代・中世の修験者のかっこうの行場とされ、古くから補陀落への東門(東の入口)として位置づけられていた。
補陀落とはインドの南海岸にあるとされた観音菩薩の住処を指し、足摺岬は熊野那智や室戸岬とともに、その東側の入口と信じられていた。
金剛福寺を舞台にした補陀落信仰の物語は「和泉式部の逆修の塔」『とはず語り』『今昔物語』『平家物語』『蹉跎山縁起』など古くから数多く残されていて、熊野那智の補陀洛山寺に次ぐ、補陀落渡海の伝承地としてもよく知られている。
補陀落渡海とは
補陀落渡海とは生きながらにして、はるか南方洋上にあるとされる観音浄土(補陀落浄土)での往生を目指して舟に乗って出帆する一種の捨身行である。
補陀落渡海の跡地は北は茨城県の那珂湊から南は鹿児島県の加世田にいたる日本各地の沿岸部に伝承なども含めて全国で約60例が知られている。
しかしながら、信仰のためとはいいながら、実在しているかどうか定かではない観音浄土(補陀落浄土)に向かって決死の船出をする「補陀落渡海」は未だに未解明の部分が極めて大きく『日本宗教史上の大きな謎』といわれている。
補陀洛東門の勅額
仁王門
仁王門には嵯峨天皇宸筆の勅額「補陀洛東門」と彫られた扁額がある。
渡海僧之碑
境内?の外れには近年に建立された「渡海僧之碑」がある。
渡海僧之碑の後ろには金剛福寺の多宝塔が見える。
四国八十八ヵ所霊場 三十八番札所 金剛福寺御詠歌
補陀洛や ここは岬の 船のさを とるもすつるも 法の蹉陀山
所在地→高知県土佐清水市足摺岬214-1
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おまけ:金剛福寺の境内の写真
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