全国に三基しかない渡海碑の一つ!玉名市繁根木の『補陀落渡海碑』




全国に三基しかない渡海碑の一つ!熊本県玉名市繁根木の弘円上人の『補陀落渡海碑』

熊本県玉名市繁根木に現存している「補陀落渡海碑」は全国的にもわずかに三基しか残されていない「補陀落渡海碑」の一つである。

補陀落渡海とは

補陀落渡海とは生きながらにして、はるか南方洋上にあるとされる観音浄土(補陀落浄土)での往生を目指して舟に乗って出帆する一種の捨身行である。

補陀落渡海の跡地は北は茨城県の那珂湊から南は鹿児島県の加世田にいたる日本各地の沿岸部に伝承なども含めて全国で約60例が知られている。

しかしながら、信仰のためとはいいながら、実在しているかどうか定かではない観音浄土(補陀落浄土)に向かって決死の船出をする「補陀落渡海」は未だに未解明の部分が極めて大きく『日本宗教史上の大きな謎』といわれている。

玉名市繁根木の弘円上人の「補陀落渡海碑」

玉名市の繁根木八幡宮裏、稲荷堂前の共同墓地の一画に弘円上人の「補陀落渡海碑」がある。

現地には安山岩自然石の石造物が4基が並列していて、その中の向かって一番右側のものが、弘円上人の補陀落渡海に関する板碑である。

補陀落渡海碑は西向きになる表面の上端に日、月をおき、中央に阿弥陀、観音、勢至の仏像三体の線刻と「永禄十一年戊辰年十一月十八日、武州住秀誉上人作、善心大德、補陀落渡海下野国弘円上人、同船駿河善心行人、遠江道円行人、小旦那計家深兵衛、施主西光坊、大小旦那、現世安穏後生前処」と刻文がある。

刻文によれば、永禄11(1568)年11月28日に、弘円上人を先達とし、駿河善心、遠江道円両行人が観音信仰のために肥後国高瀬に下り、船出に際し大願成就を祈り、各地大小旦那の喜捨を得てこの板碑が建てられたものであることがわかる。

現地の看板(補陀落渡海碑並びに宝塔塔身)

玉名市指定重要文化財
補陀落渡海碑並びに宝塔塔身
指定年月日:昭和37年3月31日
三基の板碑と一基の宝塔塔身があるが、これらの石造物のうち、向かって右側の阿弥陀三尊来迎図を刻んた板碑が補陀落渡海碑である。
補陀落渡海とは、海上にあるとされる観音信仰における補陀落浄土を目指して往生(船出)することで、その供養として立てられたのが補陀落渡海碑である。
この補陀落渡海碑は、永禄11年(1568)11月18日に、下野国の弘円上人、駿河国の善心、遠江国の道円らが補陀落渡海したのにちなみ、西光坊が施主となって建立したもので、現存の補陀落渡海碑は、本市の伊倉本堂山及び大阪府泉南市の一基、計三基だけである。
この補陀落渡海碑と並ぶ板碑二基の左端に、文永4年(1267)銘の宝塔塔身がある。
平成9年3月 玉名市教育委員会

所在地→熊本県玉名市繁根木73

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