大阪府泉南市の林昌寺に現存している「祐海上人」の「補陀落渡海碑」
大阪府泉南市の林昌寺に現存している「補陀落渡海碑」は全国的にもわずかに三基しか残されていない「補陀落渡海碑」の一つである。
補陀落渡海とは
補陀落渡海とは生きながらにして、はるか南方洋上にあるとされる観音浄土(補陀落浄土)での往生を目指して舟に乗って出帆する一種の捨身行である。
補陀落渡海の跡地は北は茨城県の那珂湊から南は鹿児島県の加世田にいたる日本各地の沿岸部に伝承なども含めて全国で約60例が知られている。
しかしながら、信仰のためとはいいながら、実在しているかどうか定かではない観音浄土(補陀落浄土)に向かって決死の船出をする「補陀落渡海」は未だに未解明の部分が極めて大きく『日本宗教史上の大きな謎』といわれている。
林昌寺の「祐海上人」の「補陀落渡海碑」
林昌寺の補陀落渡海碑には梵字と「補陀落山 肥前国之住温泉山祐海上人 我見自心形如月輪 敬白 渡海行人 永禄八(1565)年乙丑二月廿八日」という銘文が刻まれていて、肥前温泉山(雲仙)の祐海上人が和泉国から補陀落渡海を敢行したことが示されている。
補陀落渡海といえば熊野の那智がメッカであるが、実は補陀落渡海の跡地は北は茨城県の那珂湊から南は鹿児島県の加世田にいたる日本各地の沿岸部に伝承なども含めて全国で約60例が知られている。
林昌寺に残されている渡海碑は熊野の那智以外でも補陀落渡海が行われていたことを極めて貴重な史跡である。
渡海碑は山門を潜ったすぐ右手に建っているが、境内に案内などは一切ないため、事前にその存在を知らずに訪ねた場合にはこれが全国的にもたった三基しか残っていない「補陀落渡海碑」であることに気付くことはなく、残念ながら、誰も気に留めることすらもないのだろうと思われる。
所在地→大阪府泉南市信達岡中395(林昌寺)
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