弘法大師・空海が建立した!二基の石鳥居が並び建つ『二ッ鳥居』
二ツ鳥居(二ッ鳥居)は弘法大師・空海が開いた高野山への参詣道のうち、最もよく使われた主要な道である「高野山町石道」のわきに並び立つ二基の石鳥居である。
紀伊後風土記によれば、この鳥居は空海が丹生明神・高野明神を高野山に勧請した際(弘仁10(893)年5月3日)に木材で建てたものであるという。
現在の石造りになったのは慶安2(1649)年の5月とされ、補陀落院叟遍が私財を投じて石造に改めたものが現存している。
二ツ鳥居(二ッ鳥居)は「高野山町石道」の参詣道の中間点の山深いところにある。
現在は鳥居に額はないが、記録によると丹生大神と高野大神の額がかかげられ、ここからは天野の里や丹生都比売神社を展望することができるため、二神を祀る丹生都比売神社の鳥居で「境内の入口」「遥拝所」とされている。
また、鳥居より先の町石道は祈りの聖道と言われ、木の伐採も禁じられていたなど、高野山はここから始まると考えられていたともいう。
なお、この二ツ鳥居に至る道は何通りかあるが、いずれの道を通ってきたにしても『突然、いきなり、唐突』に現れる。
そして想像以上に大きい。
二つとも高さ約6mの花崗岩製、一脚の重さは約4.5トンらしい。
なぜこんな山奥にこれだけ大きな石鳥居が出てくるんだろう?とまずは驚かされる。
しかも二つの鳥居が並列している。
そもそも二つの鳥居が並列している例は少なく極めて珍しい。
なぜ二つの鳥居があるのだろう?その理由は?ここまで石鳥居を運んでくることも容易ではなかったはずだ。
また、鳥居が建っているところは平場がほとんどないとても狭い場所である。
普通、鳥居といえばとても広い空間の参道上のど真ん中に建っていて、鳥居をくぐって進むのが一般的なイメージであるが、この二ツ鳥居は参道脇にあり、そっぽを向いている感じがする。(確かに鳥居のすぐ側の展望台からは天野の里や丹生都比売神社を一望することができるのではあるが。)
展望台よりの景観
色々と疑問が湧いて出てくるが、二つの石鳥居は黙して何も語ってはくれない。
ちなみにこの鳥居の表記は現地の看板でも統一されてなく「二ッ鳥居」、「二ツ鳥居」、「二つ鳥居」とまちまちだった。
所在地→和歌山県かつらぎ町上天野
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