全国に三基しかない渡海碑の一つ!玉名市伊倉の『補陀落渡海碑』




全国に三基しかない渡海碑の一つ!熊本県玉名市伊倉の夢賢上人の『補陀落渡海碑』

熊本県玉名市伊倉の報恩寺跡に現存している「補陀落渡海碑」は全国的にもわずかに三基しか残されていない「補陀落渡海碑」の一つである。

補陀落渡海とは

補陀落渡海とは生きながらにして、はるか南方洋上にあるとされる観音浄土(補陀落浄土)での往生を目指して舟に乗って出帆する一種の捨身行である。

補陀落渡海の跡地は北は茨城県の那珂湊から南は鹿児島県の加世田にいたる日本各地の沿岸部に伝承なども含めて全国で約60例が知られている。

しかしながら、信仰のためとはいいながら、実在しているかどうか定かではない観音浄土(補陀落浄土)に向かって決死の船出をする「補陀落渡海」は未だに未解明の部分が極めて大きく『日本宗教史上の大きな謎』といわれている。

玉名市伊倉の夢賢上人の「補陀落渡海碑」

玉名市の伊倉の報恩寺跡に夢賢上人の「補陀落渡海碑」がある。

現地には大小十基からなる板碑の一群(報恩寺歴代住職の墓碑、供養碑、逆修碑)が残っていて、その中の一基が夢賢上人の補陀落渡海碑である。

補陀落渡海碑は、安山岩の自然石で三角形を帯び、地上高135センチ、幅90センチで、梵字阿弥陀三尊を配し、その下に「補陀落山渡海行者下野之住夢賢上人」、右にはこの碑の施主を明らかにする「本願尾州之住月照上人」の文字が、左には「天正四年丙子八月彼岸日」の文字が刻まれている。

刻文によれば、天正4(1576)年に、夢賢上人が有明海から補陀落渡海をしたことがわかる。

現地の看板(補陀落山渡海供養塔および板碑群(報恩寺跡))

玉名市指定重要文化財
補陀落渡海及び板碑群(報恩寺跡)
指定年月日:平成11年10月29日
現在地は、中世寺院であった中尾山報恩寺跡であり、現在、大小十基からなる板碑の一群が残っており、その中の一基に補陀落渡海碑がある。
補陀落渡海とは、海上にあるとされる観音信仰における補陀落浄土を目指して往生(船出)することで、その供養として立てられたのが補陀落渡海碑である。
この補陀落渡海碑は、安山岩の自然石で三角形を帯び、地上高135センチ、幅90センチで、梵字阿弥陀三尊を配し、その下に「補陀落山渡海行者下野之住夢賢上人」、右にはこの碑の施主を明らかにする「本願尾州之住月照上人」の文字が刻まれている。
この渡海碑は、本市繁根木八幡宮裏の稲荷堂前にある渡海碑とともに全国的にみても大変貴重なものである。
平成20年3月 玉名市教育委員会

所在地→熊本県玉名市伊倉北方3319

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