人知の及ばない!日本三奇の一つである『石の宝殿』(生石神社)




人知の及ばない!日本三奇の一つである『石の宝殿(石乃寳殿)』(生石神社)

石の宝殿は生石神社の御神体で高さ約5.6m、幅約6.5m、奥行き約7.5m、推定重量が約500tの巨大な石造物で日本三奇の一つとされているものである。

石の宝殿は三方が断崖に囲まれた狭い空間にあり、深く切り込まれたくぼみに溜まった池の水面に浮かんでいるようにも見えることから、俗に「浮石」とも呼ばれている。

この巨大な石造物は「いつ、誰が、何のために作ったのか」、「家のような形をした神殿なのか、御神体なのか」、「そもそも完成しているのか、未完成なのか」、「現地にこのまま置かれる予定だったのか、それとも引き起こされる予定だったのか」、「どこかに運ぶつもりだったのか」などなど、多くの謎に包まれている。

社伝によると大已貴命と少彦名命の二神が、天津神の命を受けて国土経営のため出雲から播磨国に立寄り、この宝殿山に仮宮を作って国土を鎮めるに相応しい石造りの宮殿を建てようとして、一夜の内に工事を進めたが、阿賀の神(播磨の土着の神)が反乱を起こしたために、それを鎮圧するのに手間取って未完成のままに終ったとのことである。

また、播磨国風土記には聖徳太子の時代に弓削大連(物部守屋)が作ったものと記されている。

尚、播磨国風土記は江戸時代の終わり頃までは一般の人の目には触れることがなかったため、この巨大な石造物は「人知のおよばないもので、神の創造物であるとする言い伝えや記録」が平安時代から江戸時代にかけて流布して信仰の対象となり、近世には延べ140名の西国大名らが参詣し、シーボルトも著書『日本』にスケッチを掲載している。

近年では奈良県飛鳥市の益田の岩船や牽牛子塚古墳と似ていることから、横口式石槨を製作しようとした跡との説が有力であるが、確証はないとのことである。

石の宝殿の後面には三角のこれまた何とも不思議な突起部がある。

さらに池の中の水は霊水にしていかなる干魃でも渇することなく、海水の満干を表していて、万病に卓効あるものと言い伝えられている。

~石の宝殿までの道のり~

生石神社にはこの鳥居をくぐっていきます。

かなり急勾配の石段を登っていきます。

立派な石垣の上に絵馬殿があります。

絵馬殿

この石垣の間をくぐり抜けていきます。存在感抜群で圧倒されるものがあります。

石段を登り切ったあとで、絵馬殿を振り返ってみました。

詰所

絵馬殿の先に詰所があります。

本社

詰所をくぐり抜けると本社があります!

このように中央に通路のある社殿は『割拝殿』いう大変珍しい形式です。

いよいよ、この先に日本三奇の一つである『石の宝殿』が鎮座しています!

ちなみに急勾配の石段を登らなくても迂回ができる参道もあるのでご安心下さい。

所在地→兵庫県高砂市阿弥陀町生石171

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