旧阿蘇大橋と数鹿流崩れ(熊本地震の震災遺構)+新阿蘇大橋
阿蘇大橋は2016年4月16日1時25分に発生した熊本地震本震によって山頂付近から大規模な山腹崩壊が起き「数鹿流崩れ」と命名された場所のすぐ東側に架かっていた橋である。
この「数鹿流崩れ」の大規模な斜面崩壊により、国道57号、豊肥本線が飲み込まれ、阿蘇大橋も落橋するという大きな被害に見舞われたことは記憶に新しいところで、震災当時テレビなどで何度も何度も繰り返し映し出されていた場所である。
熊本地震によるインフラ被害では県内でも最大規模のものであり、国道57号、豊肥本線が被災したことで熊本と阿蘇を結ぶ交通が絶たれ、阿蘇大橋の落橋による国道325号の寸断は、南阿蘇村のみならず南郷谷の住民生活に多大な影響を与えた。
阿蘇大橋は立野峡谷に落橋したが、橋の一部が偶然にも峡谷中腹の岩盤に引っかかる形で今も残っている。
現在では峡谷対岸の「数鹿流崩れの石碑」があるところから、落橋したアスファルトの路面や折れ曲がり引きちぎられた鋼材などを当時の姿のままで目にすることができる。
とてもインパクトが強くて胸に突き刺さるものがある衝撃的な光景だ。
なお、現地では被災翌月から復旧工事が着手され、2020年8月にはJR豊肥本線が全線開通し、2020年10月には斜面対策事業が完成して国道57号線が開通して、現在に至っている。
新阿蘇大橋
なお、現在では旧阿蘇大橋の600m下流に新阿蘇大橋が建設され、2021年3月7日に復旧開通した。
全長525m、最大橋脚高97mの新阿蘇大橋は震災からの復興のシンボルの一つでその深い深い谷に架かるその姿からは日本の技術力の底力、震災からの力強い復興の様子が見て取れる。
これにより、南阿蘇村に通じる幹線道路はすべて復旧した。
所在地→熊本県南阿蘇村河陽4935−1
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