南三陸町防災対策庁舎(東日本大震災の震災遺構)
この赤い鉄骨の骨組みだけが残されている建物は東日本大震災により発生した平均高さ16.5m(海抜)の津波により、避難していた職員や住民43名が犠牲となった南三陸町の防災対策庁舎の遺構である。
当時、防災庁舎2階の防災無線の放送室では、危機管理課の女性職員が「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」「6メートルの津波が予想されます」「異常な潮の引き方です」「逃げてください」と最後の最後まで防災無線で町民に高台への避難を繰り返し呼び掛け、庁舎内にいた職員や近隣住民等は防災対策庁舎の屋上へ避難した。
しかしながら、津波は予想の高さを超え、三階建ての庁舎の屋上床上を約2mも上回る高さまで押し寄せた。
このため、屋上に避難していた人々の多くが津波に流され犠牲になった。
助かったのはアンテナにつかまることができた人や手すりで必死に耐えることができたわずか10人だけだったという。
その後、紆余曲折を経て、防災対策庁舎は震災後20年間(令和13(2031)年3月10日まで)は県有化されることとなり、現在では宮城県によって保存され、それ以降の保存の是非については南三陸町において検討されることとなっているとのことである。
所在地→宮城県南三陸町志津川塩入77
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