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天皇家最大の陵墓である『月輪陵・後月輪陵』

天皇家最大の陵墓である『月輪陵・後月輪陵』 月輪陵および後月輪陵は古くから皇室の香華院(菩提所)として知られ、御寺と呼ばれていた泉涌寺の山内に営まれている天皇家の歴代陵墓である。この月輪陵には仁知3(1242)年に第87…

山名宗全(持豊)の墓(応仁の乱の西軍の総大将)

山名宗全(持豊)の墓(応仁の乱の西軍の総大将) 所在地→京都市左京区南禅寺福地町86(南禅寺真乗院) 応仁の乱の西軍の総大将・山名持豊(出家して宗全)の墓。宗全は山名時熙の次男で兄・持煕が足利義教の勘気にふれ、廃嫡された…

細川勝元の墓(応仁の乱の東軍の総大将)

細川勝元の墓(応仁の乱の東軍の総大将) 応仁の乱の東軍の総大将・細川勝元の墓。勝元は細川宗家である京兆家・持之の嫡子で、父・持之の死去により嘉吉2(1442)年に13歳で家督を継ぎ、将軍義勝の偏諱を受けて勝元と名乗り、摂…

浦添ようどれ

浦添ようどれ 浦添ようどれは琉球王国初期の王陵である。咸淳年間(1265~1274年)に英祖王が築いたといわれていて、その後、1620年には浦添出身の尚寧王が改修し、尚寧王自身もここに葬られている。向かって右側が英祖王、…