社殿の真後ろに存在感抜群の巨岩がそびえ立つ『小倉山五輪石稲荷神社』 五輪石稲荷神社は福島市にある神社である。 社殿は小さくてこじんまりとしているが、この神社の見所は何といっても社殿の真後ろにそびえ立つ五輪石と呼ばれる存在…
2022年
世界で4ヶ所のみのレンガドックの一つである『浦賀ドック』
世界で4ヶ所(5基)しか現存していないレンガドックの一つである『浦賀ドック』 浦賀レンガドックは、明治32(1899)年に建造されてから平成15(2003)年に閉鎖されるまでの約100年間で日本丸や海王丸をはじめ、青函連…
大友頼泰の墓
大友頼泰の墓 頼泰は大友家第三代当主で大友家惣領として初めて豊後に入国し、以後大友氏は豊後に土着し勢力を築いた。 頼泰は仁治3(1242)年に鎌倉幕府の御成敗式目を参考にして「新御成敗状」28条を作成し、寛元2(1244…
宗右馬次郎盛就の墓
宗右馬次郎盛就の墓 宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承がある。 新対馬島誌によれば、盛就は助(資…
大友親時の墓(中尾五輪塔)
大友親時の墓(中尾五輪塔) 大友家第四代当主・親時の墓。 親時は大友頼泰の長男で文永・弘安の役の際には父・頼泰とともに博多に出陣し、九州の諸将を指揮して蒙古軍と戦い武功を挙げた。 父・頼泰のあとをうけて鎮西談議所頭人をつ…
大友親時夫妻の墓
大友親時夫妻の墓 大友家第四代当主・親時の墓。 親時は大友頼泰の長男で文永・弘安の役の際には父・頼泰とともに博多に出陣し、九州の諸将を指揮して蒙古軍と戦い武功を挙げた。父・頼泰のあとをうけて鎮西談議所頭人をつとめたが、永…
宗助国(資国)の太刀塚
宗助国(資国)の太刀塚 宗助国(資国)は宗家初代・重尚の末弟で重尚から襲封云々とあるが確証はない。 一方、他の確実な史料における宗氏の初見で、対馬守護・地頭である少弐氏の守護代、地頭代を勤めていたことが知られる最初の人物…
宗越前五郎の墓
宗越前五郎の墓 宗越前五郎盛賢の墓。 宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承がある。 越前五郎は宗氏…
宗右衛門三郎の墓
宗右衛門三郎の墓 宗右衛門三郎の墓。 宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承がある。 宗助(資)国の…
日本宗教史の謎!「補陀落渡海」の一大拠点だった『補陀洛山寺』
日本宗教史上の謎とされる「補陀落渡海」の一大拠点だった『補陀洛山寺』 目次 ①補陀落渡海とは ②補陀落渡海の一大拠点だった補陀洛山寺 ③補陀落渡海を描いた唯一の絵画資料である「那智参詣曼陀羅」 ④補陀落渡海船 ⑤補陀落渡…