宗右衛門三郎の墓




宗右衛門三郎の墓

宗右衛門三郎の墓。

宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。

元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承がある。

宗助(資)国の庶兄で佐須郡司だったとされる右衛門三郎は、佐須浦で討死したと言われていて、佐須川河口の丘には墳墓と伝えられる墓がある。

しかしながら、今では右衛門三郎のことはすっかり忘れ去られてしまっているのか、現地には何の案内も看板もない。

もちろんネットでも何の情報もなく、現地で自称「歴史に詳しい」というおじいさんに聞いても、そもそも『右衛門三郎を知らない』と言われてしまった。

そんなこんなで、かく言う私も2017年5月に初めて訪ねようとした時は右衛門三郎の墓を探し当てることができずに、不覚にも違う人(子孫?)の墓を右衛門三郎の墓と誤認して帰ってしまった。

その後、再度、情報を提供していただいた方と改めて何度も何度も連絡を取り合いながら、2018年12月に「今度こそ!」と万全と必勝を期して対馬に渡り、ついに右衛門三郎の墓を無事に訪ねることができた。

所在地→長崎県対馬市厳原町椎根

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