大友親時の墓(中尾五輪塔)




大友親時の墓(中尾五輪塔)

大友家第四代当主・親時の墓。

親時は大友頼泰の長男で文永・弘安の役の際には父・頼泰とともに博多に出陣し、九州の諸将を指揮して蒙古軍と戦い武功を挙げた。

父・頼泰のあとをうけて鎮西談議所頭人をつとめたが、永仁3(1295)年、父に先立って死去した。

尚、この中尾五輪塔は土地の人により「虎御前」「腹太」などと呼ばれている高さ255cmの巨大な五輪塔で、中世の五輪塔では大分県下最大のものであるといい、この近くに親時の菩提寺と推定される大楽寺跡があることから親時の墓と考えられているという。

また、この塔がある場所は「殿様道」と呼ばれる旧道であるという。

(※親時の墓とされるものは大楽寺跡にもある)

所在地→大分県豊後大野市三重町久田3180

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