大矢野氏関係五輪塔群




大矢野氏関係五輪塔群

大矢野氏関係五輪塔。

大矢野氏は肥後国天草郡大矢野島を本貫地とする御家人で、元寇の際に鎌倉幕府の命により大矢野十郎種保・同三郎種村・同弟の三兄弟が博多湾に馳せ参じ竹崎季長による蒙古襲来絵詞にも大矢野兄弟が船に乗っている様子が描かれ「たねやす たねむら ひょうせん(種保 種村 兵船)」と詞(ことば)が書かれ、その武勲の様子が記されている。

その後、大矢野氏は戦国時代まで大矢野城に拠り、戦国時代中期になると、志岐氏・天草氏・上津浦氏・栖本氏とともに「天草五人衆」の一つに数えられるようになった。

そして九州統一を狙う豊後の大友氏、薩摩の島津氏、肥前の龍造寺氏などの影響を受けながらも独立を保ち、最終的には豊臣秀吉に従ったが、大矢野氏は約300年にわたって大矢野地方の豪族として栄えた。

所在地→熊本県天草市大矢野町中城本483

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