宇久競(宇久氏七代の墓)の墓
宇久氏七代の墓。宇久氏は初代・家盛が文治3(1187)年に宇久島に上陸して土着の豪族を平定して領主となり、鎌倉幕府より所領を安堵され、従五位下に叙せられ、肥前の守に任じられたという。
以来、八代覚が弘和3(1383)年に福江島の岐宿に移るまでの約200年間、当地にあって五島一円を勢力下に置いたとされる。
ここ東光寺は家盛以来の菩提寺であり、初代・家盛以下、二代扇・三代太・四代進・五代競・六代披・七代実)の墓がある。
歴代の中でも五代・競は元寇の役で大活躍し、特に弘安4(1281)年には平戸に大挙して押し寄せてきた元軍を迎え撃ち、多大な功績があったといわれていて名高い。
尚、この霊廟は江戸時代に整備されたもので真ん中の石碑の周りにある墓石はその際に集められたものであるといい、どの墓石が誰のものかは分かってないという。
所在地→長崎県佐世保市宇久町平2397(東光寺)
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