島津家第四代当主・島津忠宗の墓(感応寺五廟社)




島津忠宗の墓(感応寺五廟社)

感応寺の五廟社(島津家初代忠久より五代貞久の墓所)にある島津家第四代当主・忠宗の墓。(右から2番目が忠宗の墓)

忠宗は島津久経の長男で父とともに弘安の役で元軍と戦い、大いに活躍して武功を挙げ、鎮西引付衆となった。

弘安7(1284)年、父・久経の死により島津宗家の家督を継ぎ、鎌倉幕府より文保元(1317)年、日向国高知尾庄、肥前国松浦庄、豊前国副田などの地頭職に任じられた。

翌年、嫡子貞久をはじめ、忠氏・忠光・時久・資久・資忠らの諸子に所領を分譲。それぞれ和泉・佐多・新納・樺山・北郷氏らの祖となった。

和歌にすぐれ「新後撰和歌集」「続千載和歌集」などにその歌がみえる。

正中2(1325)年11月12日死去。

尚、忠宗の墓とされるものは鹿児島市の本立寺跡にもある。

所在地→鹿児島県出水市野田町下名5735(感応寺五廟社)

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