兵衛次郎の墓
兵衛次郎の墓。
兵衛次郎は対馬の守護代・宗助国(資国)の家臣で文永の役の際、対馬小太郎と共に対馬から元軍の襲来を大宰府へ報告するという使命を果たした。
その後、兵衛次郎は少弐景資の幕下となって小太郎と共に各地を転戦、弘安の役で鷹島で戦死した。
兵衛次郎の墓は鷹島肥前大橋と神崎免伊野利の浜をのぞむ丘の上に建てられていて、石堂様と呼ばれ親しまれているという。
所在地→長崎県松浦市鷹島町神崎免
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