お涙ちょうだい!国宝・鎌倉大仏の哀愁漂う「うしろ姿」とは?




お涙ちょうだい!国宝・鎌倉大仏の哀愁漂う「ちょっぴり切ない後ろ姿」とは?

日本人なら誰もが知っているものの、よく考えたら詳しいことは何一つとしてわかっていない「ミステリアス」な『国宝・鎌倉大仏(長谷の大仏)』の知られざる一面を紹介したいと思います。

『鎌倉大仏』は「古都・鎌倉」を代表する観光スポットで鎌倉を訪ねた方は必ず立ち寄るのではないかと思われる場所です。

かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は
美男におわす 夏木立かな
出典:http://syakeassi.xsrv.jp/1587

与謝野晶子が鎌倉大仏のことを詠んだこの歌はあまりにも有名で、境内には歌碑も建てられています。ちなみに鎌倉大仏は正式には「阿弥陀如来像」なので「釈迦牟尼」と詠んだ与謝野晶子は勘違いをしていたのか、それともなければわざと間違えていたことになります。

聖武天皇によって造られたことが「はっきりしている」奈良の大仏と違って、実は「いつ、誰が、何のために造ったのか」よくわかっていない鎌倉の大仏。

この日本国内はもちろん、世界的にも有名な鎌倉の大仏は、建久6(1195)年に奈良東大寺再建供養会に参列した源頼朝が鎌倉にも大仏建立を発願したが果たせずに没し、頼朝に仕えた稲多野局が意志を継いで、僧浄光が造立したとの伝承が残されているが、実は国家的事業として造立された奈良の大仏とは異なり、造立の目的や資材の調達、完成までの工程など明らかにされていないことが多く「いつ、誰が、何のために、どのように造ったのか」が今も明らかになっていない謎多き大仏でもある。
出典:鎌倉大仏(長谷の大仏)

大仏造立については吾妻鏡によると暦仁元(1238)年3月23日条に「深沢の里で大仏堂の建立を始める。僧浄光が勧進をしてこの営みを企てた」とあるのが最初の記事である。

任治2(1241)年3月にはこの大仏殿の上棟の儀があったとされ、翌任治3(1242)年秋に鎌倉を訪れた東関紀行の作者がこの大仏と大仏殿の三分の二が出来上がってあることを記し、定(浄)光上人が関東で勧進活動をした成果によることや、奈良の大仏と比較しながら約12mの高さで木像であることなどを比較的詳しく述べている。

そして寛元元(1243)年6月に八丈余の阿弥陀如来坐像を安置した堂舎が落成し、大仏供養が行われている。

ところがこの僅か9年後の建長4(1252)年8月17日に「深沢の里に金銅八丈の釈迦如来の像を鋳始めたてまつる」との記事が吾妻鏡に載る。

釈迦如来とあるのは誤記であろうとされており、この金銅造大仏が現在の大仏にあたると考えられているが、吾妻鏡にある大仏に関する記述はこれが最後であり、前の大仏がどうなったのか、なぜ木造大仏に代わって金銅大仏が造立されたのか、金銅大仏がいつ完成したのかなどは未詳である。
出典:鎌倉大仏(長谷の大仏)

結局のところ、現在の大仏様は何代目の大仏様なのかもよくわかってません。

造立当初は「鎌倉の大仏」にも「奈良の大仏」のように大仏殿があった!?

造立当初はあったとされる大仏殿については地震や大風で破損や倒壊がたびたびあったようで「太平記」には建武2(1335)年に北条時行の兵が大風を避けて堂内に入ったが、堂が倒れて500余人の死者が出たと記されている。

また応安2(1369)年にも大風で崩壊している。(鎌倉大日記)

文明18(1486)年に大仏を訪ねた万里集九は、大仏の胎内で往々博奕が行われたこと、堂宇がなく露坐で高くそびえていたことなどを記しており(梅花無尽蔵)、大仏殿を失って荒廃した様子がうかがえる。

さらに明応4(1495)年には洪水に見舞われ、明応7(1498)年には大地震と津波により大仏殿を失ったとされる。

このように大仏殿は修復と再建を繰り返しながら、存在していたが、明応7年の破損の記録を最後に再建の形跡はなく、礎石だけを残して500年以上、今に至るまで『露坐の大仏』となり、この大仏の代名詞としても知られるようになった。
出典:鎌倉大仏(長谷の大仏)

あと、意外と知られていませんが、鎌倉の大仏は『胎内』に入ることもできます!

出典:https://matcha-jp.com/jp/261

実は鎌倉大仏は胎内巡りをすることができます。大仏胎内の拝観料はわずかに20円ですが、大仏の胎内に入ることができることは意外と知られてないようです。

大仏胎内の様子。

ところで「鎌倉大仏」のことを「長谷の大仏」と呼ぶこともあるけど、どっちが正しいの?

鎌倉大仏の所在地は「神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号」です。つまり『鎌倉の長谷にある大仏』なので「鎌倉大仏」でも「長谷の大仏」でもどちらでも間違えではありません。

最後に…鎌倉大仏の哀愁漂う「ちょっぴり切ない後ろ姿…。」

鎌倉大仏を真後ろから見てみた情景です。500年以上も雨風にさらされていたせいか、とてもお疲れの様子です。前から見た時のあの凛とした「美男におわす」といった面影はなく、疲れ果ててガックリと肩を落とし、ねこ背になってしまっているように見えます。何とも哀愁漂う『ちょっぴり切ない後ろ姿』には胸を締め付けられる想いがします。

 

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