竹崎季長の出自について




竹崎季長の出自について

竹崎季長は伏敵編(明治24(1891)年に出版された蒙古襲来関係の史料集)の成立以来「益城郡竹崎を本貫とする阿蘇神社大宮司・阿蘇氏の庶流」とするのが通説となっていたが、近年では竹崎季長が残した文書に「竹崎五郎兵衛藤原季長」との署名があること、「蒙古襲来絵詞」の中の菊池武房との出会いの場面で「おなじきうち竹崎の五郎兵衛季長」と名乗っていることなどから、宇治姓の阿蘇氏庶流ではなく、藤原姓の菊池一族の竹崎氏であろうとする説が有力となっている。

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竹崎季長と蒙古襲来絵詞について

 

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