竹崎季長の子孫について
竹崎氏については確たる系図が残されておらず、竹崎季長の子孫がどうなったのかについてははっきりしていない。
季長以後の海東郷の領主支配がどのように展開したのかもまったくわからず、子孫何代がそのあとを継いだのか等についても確かな文献が残っていない。
中世の諸文書には竹崎安芸守惟氏、竹崎伊豆守惟岑、竹崎出雲守惟圓、竹崎又三充丸、竹崎孫九郎惟貞、竹崎次郎左衛門惟村、竹崎与左衛門、竹崎新五郎、竹崎長顕、竹崎左衛門太郎、竹崎長有などの名前が出てくる。
竹崎長顕、竹崎左衛門太郎、竹崎長有などはその行動圏や名乗りから判断して竹崎季長の後裔である可能性が濃厚であるが、決め手はない。
尚、海東郷については15世紀のはじめには大山田又三郎郷重(大山田加賀入道)がこの地の領主として登場するため、季長が築き上げた海東郷支配は南北朝動乱で崩壊したものと考えられている。
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