遮光器土偶が出土した「亀ヶ岡遺跡」
遮光器土偶が出土したことで有名な亀ヶ岡遺跡は縄文時代晩期(約3000年前~2300年前)の遺跡で、津軽平野の北側に位置する屏風山丘陵の先端、標高約4m~16mの丘陵上に立置し、遺跡は大きく低地の近江沢と沢根、丘陵上の雷電宮の三地区からなっている。
遮光器土偶のほかにも緻密な文様が施されたり、漆で彩色された壺や皿など美しい土器がたくさん出土していることでも有名である。
江戸時代初期の津軽藩の事跡を記した「永禄日記」の中に「ここより希代の瀬戸物を堀し」「既に瓶(かめ=土器のこと)がたくさん出ることから瓶ヶ岡(かめがおか)と地元では呼んでいる」という記述があり、古くより著名な遺跡であったことが知られている。
また、出土品に魅了された著名な好事家・知識人たちが遺跡を訪れており、菅江真澄の「津軽のつと」や松浦武四郎の「東奥沿海日誌」などにも記載がある。
南総里見八犬伝の作者である滝沢馬琴らも、江戸市中で亀ヶ岡遺跡の出土品などの品評会を催したという記録も残っている。
明治時代以後は度々発掘調査が実施され、この遺跡の出土遺物を標準に亀ヶ岡式土器ないし亀ヶ岡文化と称され、わが国における縄文晩期の代表とされる。
しかしながら、古くから著名な遺跡であった亀ヶ岡遺跡では盗掘もさかんに行われていたようで、またここから出土した土器や遺物は遮光器土偶をはじめとしてその多くが研究等の目的で持ち出されて日本中に散逸しているため、地元にはないのが現状である。
遮光器土偶(東京国立博物館)
また現地もしゃこちゃん広場として公園として整備されているものの、発掘現場等はすべて埋め戻されていて、ぶっちゃけ遺跡としては何も残っていないという状態なので、実際に訪ねると少しがっかりするかも知れません。。。
所在地→青森県つがる市木造亀ケ岡
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