残民争採首陽蕨 残民争ひて首陽の蕨を採る、
処々閉炉鎖竹扉 処々炉を閉ざし竹扉を鎖す。
詩興吟酸春二月 詩興の吟は酸たり春二月、
満城紅緑為誰肥 満城の紅緑誰が為に肥ゆる。
作者 : 後花園天皇
意訳 :
人々は飢えに苦しみ争って首陽山のわらびを取っている。
どの家のかまども火が消え、扉を閉ざしてしまっている。
本来なら心がはずみ、詩心がわく春であるはずなのに何と
不幸なことか。花や木はいったい誰のために輝いているのか。
解説 :
後花園天皇が足利義政の悪政を諌めるために贈った漢詩。
足利義政は室町幕府の第八代将軍だが、凶作・飢饉が続発しても惨禍を顧みることなく、まったくの無為無策で寺社詣や酒宴にあけくれた。
また自らの失政により応仁の乱が勃発しても何ら収拾策を講じることもなく、むしろ以前から続いていた政治からの逃避が強まり、栄華風流の世界に耽溺するのみであり、洛中最大の戦闘となった相国寺合戦の最中にも平然と御所に籠り、側近と華やかな酒宴を繰り広げていたという。
この詩は大飢饉となった寛正2(1461)年に飢え苦しむ民に心を痛めた後花園天皇が、足利義政の奢侈を諌めるために贈った七言絶句の漢詩で「お前の悪政のために多くの人々が餓死している、それでいいのか」と諫められた義政は、さすがにこの時は新殿の造営を中止した。
しかしながらそれも一時のことで、義政の浪費は終生変わることもなく、最後には「何ごとも 夢まぼろしと 思ひしる 身にはうれひも よろこびもなし」というまったく無責任、無気力な辞世を残して死去した。
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