明王院五重塔
総高 | 29.14m |
建立年 | 貞和4年 (1348年) |
文化財指定 | 国宝 |
建築様式 | 和様 |
構造形式 | 三間五重塔姿。本瓦葺 |
塔の歴史
明王院は古くは常福寺とよばれ、奈良西大寺末の律宗寺院であった。当時、明王院とよばれた寺院は芦田川の東岸にあり、西岸の常福寺と共に中世には二つの寺院が栄えていた。
時を経て戦国時代末期には東岸の明王院が衰え、江戸時代に入ってから福山藩主水野勝貞の命により、常福寺と明王院は合併して明王院と称し、現在に至っている。
国宝の本堂の南隣に建つ五重塔は「一文勧進の小資を積み、五重塔姿の大成をなす」と相輪に銘があるように庶民の寄進した浄財で建てられたものである。また建立年については、相輪伏鉢の刻名により貞和4(1348)年であることがわかっている。
塔は軒の出が深く、各層の逓減率もよく整い、中世和洋塔姿の代表的名作として、京都・醍醐寺の五重塔と共に、秀麗さでも最高峰と賞賛される名塔である。
私の感想・コメント
正直にいえば、まったくノーマークだった塔である。もちろん現存する二十二基の五重塔の一つであるということは認識していたが、まさかここまで素晴らしい塔だとは思ってもみなかったのである。
訪ねたのも「明確な訪ねる意志」をもって訪ねたというわけではなく、たまたまの偶然である。
その年、夏休みを利用して九州に車で旅行に行った私は少し余裕をもって休みが余るように帰宅の徒についた。しかし、九州と私の自宅である横須賀とは実に1000キロ以上もの距離がある。さすがに運転しっ放しで1日で帰宅するのは体力的にも精神的にもキツそうだったので、途中寄り道をしながら帰ることとした。
そして広島でこの明王院の五重塔に立ち寄ることにしたのだが…。ぶっちゃけそんなに期待することもなく、本堂へと続く階段を登った私だったが、五重塔を一目見た瞬間にすざましい電流が私の中を走り抜けたのがわかった。
何と素晴らしい塔なのだろうかと。すぐにあの醍醐寺の五重塔と匹敵する名塔だと直感した。なぜこれほどまでに素晴らしい塔を私はこれまでまったくノーマークにしていたのだろうか…。不明、不覚の極みというより他にない。
その後、醍醐寺の五重塔を初めて訪ねた時と同様、明王院の五重塔に完全に魅せられた私は、 飽きることもなく、ただいついつまでも五重塔を眺めていた。
俗に日本三名塔は法隆寺、醍醐寺、瑠璃光寺の五重塔だといわれているが、私だったら、法隆寺、醍醐寺の五重塔に加え、この明王院の五重塔を三名塔の一つに推す。
いずれにしても私は約1週間も滞在した九州のどの場所よりも、この明王院の五重塔の方が素晴らしいと感じてしまったのである。
所在地→広島県福山市草戸町1473
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