「後南朝の悲劇」を今に伝える!奈良県川上村の『御朝拝式』




御朝拝式とは

御朝拝式は自天王・忠義王をしのび、奈良県川上村で毎年2月5日に行われている式典である。

朝拝式とは享徳元(1452)年2月5日に自天王が即位し、宮中で正月に天皇に拝賀する朝賀拝礼式を行ったことに由来する。

江戸時代後期に書かれたと思われる「川上朝拝実記」という文書によると、この朝拝式は享徳3(1454)年2月5日に三之公の河原で行われた尊秀王(のちの自天王)の即位式の折、高御座でみせた王のうれしそうな笑顔が忘れられず、この儀式を再現すれば、亡き王の霊も喜ぶだろうというので郷士らが相談の上、始めたという。

式では(16の菊の御紋章のついた)裃を着用し、榊の葉を咥えた筋目衆たちが自天王神社に御幣を奉納し、収蔵庫前に整列、自天王が着用したとされる甲冑・刀を御神体とあがめ、一人ずつ拝賀するものである。

朝拝式は自天王が暗殺された際に仇を討った郷士の子孫が執り行うしきたりで「筋目」と呼ばれる家系により継承されてきた。

御朝拝式は寛永2(1625)年までは御座磧と呼ばれる吉野川の川原で執り行われていたと伝えられているが、以後は自天王の遺品として伝えられた鎧や太刀などが村内三ヶ所に保存され、それぞれの地域で御朝拝式を営んできたという。

その後、昭和56年に高原の福源寺と金剛寺の二ヶ所に統合され、同時に御朝拝式が営まれていたが、平成19年に550年祭を迎えたのを機に、自天王の遺品はすべて金剛寺の収蔵庫に納め「御朝拝式」も合同で行われることになった。

川上村御朝拝式次第(平成19年550年祭資料より)

「支度」9:30 ~準備

本日の式典の司(役職)読み上げ

総代挨拶

式典次第説明

立衆落着雑煮を供応

時服拝領

裃着座

御幣奉持

自天皇神社参拝

10:00~ 御朝拝式開式「自天王神社前の儀」

修祓

開扉

御幣奉納

献饌

祭文奉誦

玉串奉奠

「御朝拝の儀」

開扉

賀詞奏上

玉串拝禮

立衆宝物警護

「御陵参拝の儀」

一同拝礼

誄文奉誦

「朝拝殿の儀」

由来記奉読

御神酒頂戴

直会

11:30過ぎ ~式典終了~

筋目衆とは

筋目衆とは自天王が暗殺された際に仇を討った郷士の子孫のことで、直系男子による血のつながりによって維持されてきた。

この「直系男子による血のつながり」は厳格でその家に女子しか生まれなかった場合には養子を迎えることも認められず筋目からは除外されたという。

これは外から来た者によって自天王が弑され、神璽が奪われることになったことを重要視して、筋目の子孫で血のつながった者以外を警戒するあまり、それ以外の人を御朝拝式に関わらせなかったものであるという。

こうした厳格なしきたりが宝物と儀式を守ってこれた最大の理由だと考えられるが、最近の過疎化・少子化で該当者が減り、御朝拝式の存続が危うくなったことなどもあり、550年祭を機に筋目衆しか参拝できなかった古くからのしきたりを改め、自天王を悼む気持ちがあれば内外を問わず誰でも参列できるようになり、現在では保存会が組織され、村を挙げての行事へと移行されている。

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