日本における仏塔の歴史




日本における仏塔の歴史

①仏教(仏塔)伝来

古代インドのストゥーパに起源を持つ塔は崇拝対象としてアジアの仏教圏に広がり、中国、朝鮮半島の百済を経て、五世紀半ばの飛鳥時代に仏教と共に日本に伝わったと考えられている。日本で記録にあらわれる最初の仏塔は敏達天皇14(585)年に蘇我馬子が建てた大和飛鳥の「大野丘の北の塔」である。(日本書紀)しかし、この塔がどのようなものであったかは知れず、場所も特定されていない。

②飛鳥時代

遺跡として確認できる最初の塔は、推古天皇元(593)年に建てられた飛鳥寺(法興寺)の五重塔である。このわが国最初の本格的寺院である飛鳥寺(法興寺)では仏舎利を納めた塔が伽藍の中心に据えられ、そのまわりを三つの金堂がとりまいていた。つまり、塔が寺院において最も重要なものであることがわかる。続いて飛鳥時代初期に創建された大阪の四天王寺は、門、塔、金堂、講堂が南から一直線に並んでいる。そして同じく飛鳥時代建立の法隆寺では中門を入ると、金堂と塔が左右に並んで建っている。本尊を安置する金堂と塔が同格となったといえる。

③白鳳時代~奈良時代前期

続いて白鳳時代の伽藍配置を示す薬師寺になると、それまで一基だった塔が二基になって、伽藍の中心に建つ金堂の前に並ぶようになる。これは塔が仏舎利を祀るだけでなく、伽藍を荘厳する建築へと変容したことを意味する。

④奈良時代後期

さらに奈良時代になると、東大寺の伽藍配置に見られるように(但し、東大寺には塔は現存していない)塔は中心堂宇が建つ回廊内から外に出てしまうこととなる。つまり、飛鳥時代から奈良時代前期までに建てられた初期の仏塔(古代塔)は、仏舎利を納めた聖なる建物として、伽藍の中で金堂と共に重要な位置を占めていたが、奈良時代後期になると仏舎利の奉安は形式化されて仏像の安置が主となり、伽藍の中心は金堂に移り、塔は脇役へと地位が低下していった。この傾向は時代を経るにしたがって強まることとなる。

⑤平安時代

平安時代になると、浄土式の池泉庭園をもうけた伽藍がつくられたが、阿弥陀堂が中心であり、塔は脇の方に建てられることが多く、山岳寺院などでは地形の制約から、室生寺五重塔のように小さな五重塔が山の平削地に建てられるようになった。

⑥まとめ

仏教伝来当初は、礼拝の第一義的な対象として、金堂と共に寺院の中心的な建物として伽藍の中にあった塔だが時代が下るにつれ、伽藍の中心や塔本来の宗教的な位置付けから離れ、信仰の証しから寺院のシンボル的な役割を色濃くしていったといえるだろう。

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