舜義上人の即身仏(妙法寺・天台宗)
寺院名⇒妙法寺(天台宗)
系統⇒不明
没年又は入定年⇒貞享3年(1686年)2月15日(78歳)
入定伝説⇒地上入定後石像胎内
通算訪問回数⇒2回
ご尊顔⇒データなし
お寺の様子
お寺の縁起より
入定之石佛
私の感想コメント
俺が見た通算8体目の即身仏である。
しかしお寺の方の 『舜義上人は相模ノ国は三浦郡の出身で衣笠城主三浦資澄公の嫡男としてお生まれになり、成人したのちに鎌倉宝戒寺の住職となり…云々…。』との説明を聞いていて、俺はすぐに舜義上人の生い立ちはまったくのデタラメであることに気が付いてしまった。
『はあぁ~???』俺はその衣笠城がある横須賀の出身で三浦一族の系譜もそらんじているが、資澄なんて当主はそもそも存在しない!っていうか衣笠城は鎌倉時代の宝治合戦以降は廃城となり、放棄されたので、衣笠城主なんてものが存在するわけがない!
そして、これが極め付けだが、三浦一族は戦国時代初期の永正13年(1516年)に北条早雲に攻め滅ぼされ、滅亡してしまったので、悲しいかな?舜義上人が生まれた江戸時代には三浦一族が存在しているはずはないのである。
…。俺が歴史オタクであるがために知らなくていいことまで知ってしまった…。
伝説や言い伝えなんて所詮そんなもので時代と共に移り変わっていくものなんだな…ってことが「よぉ~く」身に沁みて分かった。
それともなければ舜義上人自身が生前、自分の箔をつけるために周りの僧や弟子、村人達にそう語っていたのだろうか?
まぁ~何にしろ人の話っていうのは鵜呑みにせずに、疑って掛かった方がまず間違いないな!って改めて思った出来事だった。
ちなみに舜義上人の名誉を守るために一つ付け加えると、舜義上人が鎌倉の名刹「宝戒寺」の住職だったことは、宝戒寺歴代住職の過去帳にも「戒心院舜義和尚、妙法寺ニテ入定…云々…」と記されているのが確認されているので間違いがないものと思われることである。
所在地→茨城県桜川市本郷13
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