明海上人の即身仏(個人蔵)
寺院名⇒個人蔵
系統⇒大日坊系
没年又は入定年⇒文久3年(1863年)3月5日
入定伝説⇒不明
通算訪問回数⇒1回
明海上人が安置されている御堂
観光協会の看板より
明海上人は文政三年(1820年)に米沢市簗沢小中澤百姓、鈴木嘉左ェ門家(現松本家)の長男として出生。
天保八年病気のため両眼失明、加えるに母の死や打ち続く飢饉で餓死する者多く、弟・吉弥の死ぬに及んで、天保十二年行者となり救世洲民に心を尽した。
難行苦行の精進を重ね、天保十五年明海と号し、弘化四年京都仁和寺より上人号を賜わった。
即身成佛して大衆の苦難を救おうと五穀を断ち木食行とあらゆる苦難の修行や絶食に堪え、遂に即身佛の彼岸に到達した。
昭和五十七年入定百二十年の遠忌に当り、新潟大学に於て修復同八月三十一日入佛供養して茲に鎮護した。
私の感想コメント
明海上人は現存する日本の即身仏の中で唯一、個人(明海上人の子孫)の方が所有をされています。
現在明海上人の監守をされているのは松本さんという方で、明海上人の出家前の姓(鈴木)と違うのは松本さんに至るまでに2度婿養子がきたためだとおっしゃっていました。
私が訪ねたのは真冬で辺りは見渡す限り白銀の世界が広がっていましたが、それにも関わらず、明海上人の御堂までの道がしっかりと除雪されていたのには感動を覚えたものでした。
松本さん曰く、明海上人はどんな願いも叶えてくれるとのことだったので、半信半疑ながらも心の底から一生懸命お願いをさせていただきました。
また、明海上人のご子孫の方が監守をされているだけあって、松本家には上人ゆかりの品がたくさん残されていました。
その後、せっかく来たんだから、ウチに寄ってけと言われ、数時間滞在し、明海上人行状録など貴重な品々を拝見させてもらった私は「願い事が叶ったら必ずまた来るんだぞ!」と何度も言われ「また必ず来ます」と約束したにも関わらず、未だに再訪問する機会には恵まれていません。
でもいつか本当に願いが叶った暁には、また再び明海上人を訪ねたいと思っています。
明海上人行状録
明海上人ゆかりの品
この籠は明海上人が生前にお使いになられていたと言っていた。
観光協会の看板
所在地→山形県米沢市簗沢小中沢
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