円明海上人の即身仏(海向寺・真言宗)




円明海上人の即身仏(海向寺・真言宗)

寺院名⇒海向寺(真言宗)

系統⇒注連寺系(湯殿山系)

没年又は入定年⇒文政5年(1822年)5月8日(55歳)

入定伝説⇒土中入定

通算訪問回数⇒1回

ご尊顔⇒データなし

お寺の様子

お寺のパンフレットより

~円明海上人(海向寺9代目住職)~
出生 山形県東田川郡栄村
入寂 文政5年5月8日(西暦1822年)
年齢 55歳

~歴史を語る即身佛~
両上人は末世までの人々の苦しみを救い願い事をかなえるためには木食行者となりお姿を残す即身佛になる他はないと決意され、きびしい修行に出られました。

~木食修行~
出羽三山のひとつ湯殿山仙人沢に山こもりをして、木の実(くるみ、はじばみ、こうの実、そばがき、かやの実)だけを少量食べて命をつなぎ、五穀、十穀断ち(米、麦等の穀物を食べないこと)で命の限界までつづけます。即身佛となって末代までお姿を残すために体の水分、脂肪分を落とし生きている間から、現在の即身佛に近い状態につくりあげていく修行です。

~土中入定~
木食修行が終わると地下深さ3m余りのたて穴(入定塚)の中に石室をきずき、木製の棺の中に現在のお姿で生きたまま入ります。中では断食をやり、お経を読みつづけ、その音が止まると掘りおこします。3年3ヶ月後に再び掘りおこしたところ特別なことをしなくても即身佛としてお身体が残ったものです。

~海号~
即身佛のお名前の「海」という字は、真言宗の開祖弘法大師「空海」の得をしたって用いたもので「海号」と呼ばれています。

即身佛堂

私の感想コメント

何て間の抜けた顔をしてるんだろう。

それが円明海上人を一目見た時の偽らざる感想です。

だらしなくポカーンと丸く開いたように見える口元からは、今にもヨダレが落ちてくるのではないかと思え、しみじみと見れば見るほど、やはり間が抜けてるなぁ~と思えるお顔立ちをなさっていました。

ある意味、私が今まで見た即身仏の中で、一番印象的な即身仏だったといっても過言ではありません。

ちなみにこの海向寺にはもう一体忠海上人の即身仏が祀られております。(複数の即身仏が祀られているのは全国でもこの海向寺だけです。)

円明海上人入定地

所在地→山形県酒田市日吉町2-7−12

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