鉄竜海上人(南岳寺)




鉄竜海上人(南岳寺・真言宗智山派)

即身仏orミイラ⇒即身仏

系統⇒注連寺系(湯殿山系)

没年又は入定年⇒明治14年(1881年)10月28日 (62歳)

入定伝説⇒地上入滅後埋葬

通算訪問回数⇒1回

お寺の様子

お寺のパンフレットより

即身佛鉄竜海上人について申しのべる前に真言宗のおしえをかんたんに申し述べたいと思います。

まず真言宗はどなたがお開きになったかと申しますと、それは空海上人すなわち弘法大師様であります。

お大師様の示された真言宗のおしえとは、一言で申しますと、私達人間はそのままにして佛になれる、佛の世界は別にあるのではなく、ここに佛の世界があるのだと、すなわち、真実の自分の心を知り正しい修行をすることによって自己の完成(即身成佛)をすると同時に他のすべての人達が幸福になる様な理想の社会(密厳浄土)を実現しようというのが、お大師様が示された真言宗のおしえであり即身成佛ということであります。

さて、当山に安置せる即身佛鉄竜海上人は、秋田県仙北郡仙北町堀見内進藤家に生まれた。当時当山は湯殿山蓮寺の末寺にして、御行寺と呼ばれ、湯殿山行者、信者の修行所、祈祷所であった。

時の住職天竜海上人の室に入り、得度し、当時又は注蓮寺に於いて修行し、岩手県蓮正時へ晋住したのでありますが、嘉永年間に当寺が焼失したの再び当寺にもどり再建したのであります。

又後の師である鉄門海上人が発願した加茂坂道路改修工事に際しては、上人が責任者となり、難工事を無事完成したと伝えられる。

全国各地を巡錫し衆生済度に勤め五十五才に到り、宗祖弘法大師様の「入定留身して後の世の人々を済度せん」との誓願のもとに大願を発し湯殿山仙人沢に山籠し、寒暑一枚の白衣に身をつつみ、一千日の五穀・十穀断ちの木食行を、又災厄消除等の修行をし、ついに胎蔵界大日如来の加護のもとに大願を成就し即身佛となられ、宗祖大師様と同じ六十二才にて明治元年八月八日入寂されたのであります。

当山が昭和三十一年窮運に遭って堂舎ことごとく灰じんと化したのでありますが、不思議にもご本尊様と共に尊像は安泰であったのであります。

これはまことに奇瑞と云わねばなりません。今日迄結伽 座の姿にて難苦の行の実証を示す尊い御姿であり世にいう「ミイラ」とは異なる由縁にして尊佛合掌の念を以って拝観を頂いているのであります。

私の感想コメント

私が鉄竜海上人と対面したのは冬まだ寒い季節でした。お寺は底冷えして本当に寒かったと記憶しています。

雨風をよけられるお堂の中にいてさえこんなに寒いのに、即身仏になられた方はどうやって極寒の湯殿山で冬を越したんだろうか?ふと、そんなことが頭をよぎるほど心から冷える日でした。

即身仏となられた方の精神力は改めてすざましいものだったんだろうなと感じにはいられませんでした。

所在地→山形県鶴岡市砂田町

即身仏のトップページへ

日本の即身仏・ミイラを巡る旅

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です