忠海上人の即身仏(海向寺・真言宗智山派)




忠海上人の即身仏(海向寺・真言宗智山派)

寺院名⇒海向寺(真言宗)

系統⇒注連寺系(湯殿山系)

没年又は入定年⇒宝暦5年(1755年)2月21日(58歳)

入定伝説⇒土中入定

通算訪問回数⇒1回

ご尊顔⇒データなし

お寺の様子

お寺のパンフレットより

~忠海上人(海向寺中興1代目住職)~
出生 山形県鶴岡市
入寂 宝暦5年2月21日(西暦1755年)
年齢 58歳

~歴史を語る即身佛~
両上人は末世までの人々の苦しみを救い願い事をかなえるためには木食行者となりお姿を残す即身佛になる他はないと決意され、きびしい修行に出られました。

~木食修行~
出羽三山のひとつ湯殿山仙人沢に山こもりをして、木の実(くるみ、はじばみ、こうの実、そばがき、かやの実)だけを少量食べて命をつなぎ、五穀、十穀断ち(米、麦等の穀物を食べないこと)で命の限界までつづけます。即身佛となって末代までお姿を残すために体の水分、脂肪分を落とし生きている間から、現在の即身佛に近い状態につくりあげていく修行です。

~土中入定~
木食修行が終わると地下深さ3m余りのたて穴(入定塚)の中に石室をきずき、木製の棺の中に現在のお姿で生きたまま入ります。中では断食をやり、お経を読みつづけ、その音が止まると掘りおこします。3年3ヶ月後に再び掘りおこしたところ特別なことをしなくても即身佛としてお身体が残ったものです。

~海号~
即身佛のお名前の「海」という字は、真言宗の開祖弘法大師「空海」の得をしたって用いたもので「海号」と呼ばれています。

即身佛堂

私の感想コメント

海向寺は日本で唯一、複数(2体)の即身仏が祀られているところです。

その昔は、大日坊や注連寺にも複数の即身仏が祀られていたようですが、共に明治時代の火災により1体を残して焼失したと言われています。

まぁ~それはともかく「何だぁ~?(今まで見てきた即身仏と違って)異様に黒いぞ!」これが忠海上人と円明海上人のお顔を拝見した時の私の感想でした。

海向寺を訪問した当時はなぜそうなっているのかとの謎は解けません
でしたが、その後、即身仏関係の書籍を色々と読んだところ、どうやら、海向寺に祀られている忠海、円明海の両上人は、土中から発掘された後に蝋燭や蓬を燃やした煙でいぶして乾燥をさせ、更には表面に柿渋が塗られているため、このように黒光っているようです。

ちなみに余談ですが、忠海上人は本明海上人の甥にあたるそうです。

円明海上人入定地

所在地→山形県酒田市日吉町2-7−12

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