弘智法印の即身仏(西生寺)




弘智法印の即身仏(西生寺・真言宗智山派)

系統⇒高野山系?

没年又は入定年⇒貞治2年(1363年)10月2日(82歳)

入定伝説⇒地上入定

通算訪問回数⇒1回

ご尊顔⇒データなし

お寺の様子

お寺のパンフレットより

日本最古の(六百年前)の即身仏弘智法印は千葉県八日市場市大字大浦鈴木五郎左ェ門の次男(音松)として出生、同村の蓮華寺の住職の後、行雲流水の旅にたたれ、江戸(新宿区若葉町二の蓮乗院)や奥州(青森県北津軽郡市浦村大字相内の蓮花庵山王房・阿仏寺外三十三ヶ寺)の寺々を建立、更に高野山で修行の後、西生寺奥ノ院(養智院)で三千日のきびしい木食行(五穀十穀断ち)を成満して、貞治2年(1363年)10月2日御歳66才で御入定された。

昭和34年7月、文部省、早稲田大学、新潟大学の安藤更正、小片保教授外研究陣の学術調査で六百年前後、六十歳前後のお身体と判明している。

強い意志とたゆまざる行為がもたらす可能性を信じて常に感謝と努力と反省の全力投球をする時、必ず願いが叶い奇蹟が実現することを今も雄弁に物語る偉大な即身身業説法仏である。

弘智法印霊堂

私の感想コメント

現在日本で存在が確認されている即身仏は一体を除き、すべてが江戸時代以降に入定したものと伝えられているが、この「一体を除く」とは、ここ西生寺の弘智法印のことである。

弘智法印は江戸時代よりも更に遠く遡る南北朝時代に入定したと伝えられており、江戸時代以降に入定した他の即身仏に比べ、単純計算でも300年~500年も歴史が古い、唯一無比で、且つ、弧高の存在でもある。

また西生寺も弘智法印に見劣りすることない立派な(いわゆる観光資源化された)お寺である。

拝観は常時受け付けてられており、拝観の際には弘智上人が安置されている弘智堂内で、お寺の方の説明、念仏を聞いた後に合掌をすると、簾(?)が上げられ、いよいよご対面となります。

ちなみにこのお寺の宝物館には、江戸時代初期に絶滅したといわれる雷獣『乾躯』のミイラが奉られています。

宝物殿

弘智法印身替り御木像

現地の看板

江戸時代初期に絶滅したといわれる雷獣『乾躯』のミイラ

所在地→新潟県長岡市寺泊野積8996

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