CATEGORY 蒙古軍撃退の立役者たちの墓

大友頼泰の墓

大友頼泰の墓 頼泰は大友家第三代当主で大友家惣領として初めて豊後に入国し、以後大友氏は豊後に土着し勢力を築いた。 頼泰は仁治3(1242)年に鎌倉幕府の御成敗式目を参考にして「新御成敗状」28条を作成し、寛元2(1244…

宗右馬次郎盛就の墓

宗右馬次郎盛就の墓 宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承がある。 新対馬島誌によれば、盛就は助(資…

大友親時の墓(中尾五輪塔)

大友親時の墓(中尾五輪塔) 大友家第四代当主・親時の墓。 親時は大友頼泰の長男で文永・弘安の役の際には父・頼泰とともに博多に出陣し、九州の諸将を指揮して蒙古軍と戦い武功を挙げた。 父・頼泰のあとをうけて鎮西談議所頭人をつ…

大友親時夫妻の墓

大友親時夫妻の墓 大友家第四代当主・親時の墓。 親時は大友頼泰の長男で文永・弘安の役の際には父・頼泰とともに博多に出陣し、九州の諸将を指揮して蒙古軍と戦い武功を挙げた。父・頼泰のあとをうけて鎮西談議所頭人をつとめたが、永…

宗越前五郎の墓

宗越前五郎の墓 宗越前五郎盛賢の墓。 宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承がある。 越前五郎は宗氏…

宗右衛門三郎の墓

宗右衛門三郎の墓 宗右衛門三郎の墓。 宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承がある。 宗助(資)国の…

宗助国(資国)の手足塚

宗助国(資国)の手足塚 宗助国(資国)は宗家初代・重尚の末弟で重尚から襲封云々とあるが確証はない。 一方、他の確実な史料における宗氏の初見で、対馬守護・地頭である少弐氏の守護代、地頭代を勤めていたことが知られる最初の人物…

宗下野次郎の墓(その2)

宗下野次郎の墓(その2) 宗下野次郎盛忠(盛維)の墓。 宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承があり…

大矢野氏関係五輪塔群

大矢野氏関係五輪塔群 大矢野氏関係五輪塔。 大矢野氏は肥後国天草郡大矢野島を本貫地とする御家人で、元寇の際に鎌倉幕府の命により大矢野十郎種保・同三郎種村・同弟の三兄弟が博多湾に馳せ参じ竹崎季長による蒙古襲来絵詞にも大矢野…

少弐景資の墓

少弐景資の墓 少弐景資の墓。 景資は少弐資能の三男で少弐経資の弟。 元寇の役では日本軍の中心人物として最前線の指揮者として奮戦したことで知られ、文永の役では、日本の総大将として筥崎に陣取り上陸してきた元軍を迎え撃ち、蒙古…