西新(百道) 元寇防塁 百道・西新の元寇防塁は約20キロにわたる元寇防塁のちょうど中間地点にあたる。 文永の役(1274年)では元軍がこの百道浜に上陸し、蒙古軍の侵入を余儀なくされ祖原、鳥飼、赤坂一帯が戦場となった。 こ…
CATEGORY 元寇防塁
星賀海岸の元寇防塁
星賀海岸の元寇防塁 星賀海岸の元寇防塁は星賀八幡神社の裏にそれらしい石積みが残されている。 さらに肥前町史によると星賀八幡神社裏より海岸沿いに約600mにわたって自然石をあまり加工しないで積んだ人工による構造の列石=元寇…
西新元寇防塁
西新元寇防塁 百道・西新の元寇防塁は約20キロにわたる元寇防塁のちょうど中間地点にあたる。 文永の役(1274年)では元軍がこの百道浜に上陸し、蒙古軍の侵入を余儀なくされ祖原、鳥飼、赤坂一帯が戦場となった。 このため防塁…
箱崎(地蔵松原)元寇防塁
箱崎(地蔵松原)元寇防塁 箱崎地区の元寇防塁は薩摩国が担当した。 箱崎地区の防塁は南の千代付近から地蔵松原付近に至る約3キロに渡って築かれた。 大正時代に調査がされていて、防塁の構造は前面に石積みし、後面は粘土で固めてい…
姪浜(脇地区)元寇防塁
姪浜(脇地区)元寇防塁 姪浜地区の元寇防塁は肥前国が担当した。 姪浜地区の防塁は西の十郎川から小戸を経て愛宕山に至る区間に築かれている。 現地の看板によると姪浜の北面に当たる脇地区の調査では、砂岩を用いた石積みが3~5段…
姪浜(向浜地区)元寇防塁
姪浜(向浜地区)元寇防塁 姪浜(向浜地区)の元寇防塁。姪浜地区の元寇防塁は肥前国が担当し、西の十郎川から小戸を経て愛宕山に至る区間に築かれている。 向浜地区では、現在、小戸公園の一角に擬木柵に囲まれて指定地があり、説明板…
今宿元寇防塁
今宿元寇防塁 今宿地区(当時の表現では青木横浜)の元寇防塁は豊前国が担当し、長垂山から今山にかけて約2、2キロに渡って築かれたものである。 古文書には築城郡吉富村を本拠とした成富氏が乾元2(1303)年にこの地区の防塁の…
今山元寇防塁
今山元寇防塁 今宿地区(当時の表現では青木横浜)の元寇防塁は豊前国が担当し、長垂山から今山にかけて約2、2キロに渡って築かれたものである。 古文書には築城郡吉富村を本拠とした成富氏が乾元2(1303)年にこの地区の防塁の…
今津元寇防塁
今津元寇防塁 今津地区の元寇防塁は大隅国・日向国が担当し、西の柑子岳山麓から東の毘沙門山山麓までの海岸砂丘上に約3キロ築かれているものである。 防塁は砂丘の海に向かった傾斜面に、高さ3m、上の幅2m、下の幅3mの台形状に…
博多小学校石塁遺構(元寇防塁)
博多小学校石塁遺構(元寇防塁) 博多小学校石塁遺構は平成10年から約1年をかけて行われた博多小学校の発掘の際に出土した石塁(石垣)を学校校舎の地下に展示しているものである。 展示されている石塁は、標高約3.5mの砂の上に…