今山元寇防塁
今宿地区(当時の表現では青木横浜)の元寇防塁は豊前国が担当し、長垂山から今山にかけて約2、2キロに渡って築かれたものである。
古文書には築城郡吉富村を本拠とした成富氏が乾元2(1303)年にこの地区の防塁の修理を完了したという報告があり、弘安の役(1281年)以後も防塁の修理が行われ蒙古に対する警備体制が続いていたことを示している。
今宿地区では長垂海水浴場前と今山地区が国史跡に指定されているが、今山地区では現地に何の案内もない。(ちなみに他の元寇防塁はすべて案内板がある。本当に何もないのはここだけ。)
が、地図やナビでは確かに「元寇防塁」との案内が出てくるのに加え、現地にはそれっぽい石積みがある。
しかしながら、どうも腑に落ちない点が色々とあった。そんなこんなで、後日、福岡市の文化財保護課に問合せをしたところ、確かにそこは国指定の元寇防塁であるとのことであった。
所在地→福岡県福岡市西区横浜2-36
元寇防塁位置図
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